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〈オシムの言葉を信奉した選手と指導者〉中澤佑二「サッカー観をガラリと…」、羽生直剛が「めちゃくちゃ怒られた」瞬間とは
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/05/06 18:01
日本代表を率いた頃のオシム監督。数多くのサッカー選手、指導者を魅了した
「日本は私にとって未知の国だったが、サッカーは世界共通だ。それに選手というのは、いや人間というのはみな、より成長できるものだというのが、私の考えだ」
ジェフ監督時代のオシムの言葉だ。代表での指導は1年強というわずかな期間だったが、ポジションを問わず彼の指導によって飛躍した選手は数多い。
「オシム監督がなんとかなると言えば、そんな気がしてくる。洗脳されてます」とは巻誠一郎のコメントだが、オシムはこのように話していたことがある。
「私の哲学は、チームをこの手で作ることだ。むやみに選手を買い集めて、人工的な即席チームを作るのではない。彼らと練習を重ね、成長を促す。そこが面白いし、時間をかける価値がある」
もしオシムさんと出会っていなかったら……
<名言3>
もしオシムさんと出会っていなかったら、その後のどんな練習、どんなサッカーにも充実感を覚えていたかもしれないわけで……。
(羽生直剛/NumberWeb 2018年3月10日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/830145
◇解説◇
いわゆる「オシムチルドレン」の中で、他クラブへと移籍したのち、最後のクラブとしてジェフに戻ってきたのは羽生だ。
ジェフ時代、オシム監督の練習は“疲れるが面白すぎた”ゆえ、その後のキャリアでは時に物足りなさを覚えることもあったという。それだけオシム監督の指導術を信奉していたわけだが……プロフットボーラーとしての心構えについても、多大な影響を受けている。
神出鬼没な運動量と高い戦術眼を活かすプレースタイルで攻撃を活性化したチャンスメーカーは、2008年にFC東京へ移籍し、長年主力を張った。そんな羽生は2017年、ジェフに完全移籍し、10年ぶりの古巣復帰を決断。副キャプテンを任されたものの、右膝のケガもあってこのシーズン限りでの引退を決断した。
その決断について聞いた際、羽生はこのように話していた。
「昔、オシムさんに言われたんですけれどね。試合中、『おまえ、このあとも100%できるのか、できないのか、どっちなんだ?』って聞かれることが多くて、そのときに『やれます』と答えて、自分のところからやられた場合、めちゃくちゃ怒られるんです。『お前がやれると言ったから、交代しないで出したのに、できないじゃないか』って」
自分が満足にプレーできず、チームの勝利に貢献できないのなら……オシムとの記憶が、引き際を決める一因となったのかもしれない。