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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「オシムさんは負けてもホメてくれる時が」「敵ながら“すごい監督だな”と」三都主アレサンドロが体感した“ブラジルサッカーと同じ根幹”
posted2022/05/06 18:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Kyodo News
「ジェフのようなチームは、それまでブラジルでも日本でも見たことがなかった。初めて対戦したときは、驚いた」
「めったに笑わない。怒るとものすごく怖い。でも、実はとても暖かい人。ジェフの選手も日本代表の選手も、皆、彼のことを“大きなお父さん”と思っていたんじゃないかな」
日本からは地球の反対側にも、イビチャ・オシムの死を深く悼む男がいる。三都主アレサンドロ、44歳。
ブラジル南部マリンガで生まれ、16歳で高知の明徳義塾高へ留学。1997年に清水エスパルスへ入団し、浦和レッズ、名古屋グランパスなどでも活躍。日本国籍を取得し、2002年と2006年のワールドカップ(W杯)に出場した。
清水、浦和の一員としてオシム率いるジェフ市原(2005年から市原・千葉)と10回対戦し、日本代表では2006年W杯後の監督就任初戦から7試合に出場した。
浦和時代は「敵ながらすごい監督だな」と
――オシムが監督を務めていたジェフとは、2003年の清水在籍中にJリーグで1勝1敗、天皇杯で1勝。2004年から2009年まで在籍した浦和では、Jリーグで1勝2分け2敗、ナビスコ杯で1分1敗でした。当時のジェフの印象は?
「守備はマンツーマンだけど、ポジションは流動的、というか、あってないようなもの。選手全員がものすごく走り、ボールを持っている選手をどんどん追い越していく……。非常に攻撃的なスタイルで、そんなチームはブラジルでも日本でも見たことがなかった。とても斬新だった」
――オシムの監督就任後、ジェフは劇的に変わりました。
「外部から選手を補強したわけではなく、逆に主力をライバルチームに取られていったのに、どんどん強くなった。少し前まで降格争いをしていたチームが優勝争いをするようになり、スタンドの観衆も増えた。選手が急速に成長し、日本代表にも大勢選ばれるようになった。彼は、ジェフを全く別のチームに作り変えてしまった。敵ながら、『すごい監督だな』と思っていた」
判断は選手に任せる。でも間違ったら怒るんだけど(笑)
――2006年7月、彼が日本代表の監督に就任。あなたは彼の監督初陣である8月のトリニダード・トバゴ戦に招集され、先発して2得点をあげました。試合に備えての練習はどのようなものだったのでしょうか?