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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「オシムさんは負けてもホメてくれる時が」「敵ながら“すごい監督だな”と」三都主アレサンドロが体感した“ブラジルサッカーと同じ根幹”
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byKyodo News
posted2022/05/06 18:00
2006年日本代表合宿での三都主アレサンドロとオシム監督
「数人からなるチームを4つも5つも作り、違う色のビブスを渡し、彼が作った複雑なルールに従ってプレーする。そんな練習は初めてだったから、戸惑った。練習の意図も、最初はよくわからなかった。
でも、他の監督のようにああしろ、こうしろと具体的なプレーを指示することはしないんだ。こういう風にプレーしてくれ、という原則だけを伝え、そのための練習をさせる。プレーの判断は、選手個々に任せる。でも、その判断が間違っていたらすごく怒るんだけどね(苦笑)」
――授けられた戦術は?
「守備は、ジェフと同様、マンマーク。攻撃になったら、皆、マークしていた選手を捨て、人数をかけて攻める。ボールを失ったら、今度は自分から一番近い選手をマークするように言われた」
オシムは三都主に対してどんな指示を与えていた?
――あなた個人への指示は?
「キックオフ時点では左MFなんだけど、試合の状況に応じてトップ下、サイドMF、ボランチの役割をこなすことを求められた。また、『パスを出しても止まるな。常に動け』、と言われた」
――マンツーマン守備は、ブラジルではまずやりません。特に「走れ」と指示されることもない。かなり戸惑ったのでは?
「僕は攻撃的なポジションでプレーすることが多かったから、守備面ではそれほど困らなかった。また、スペースを見つけて走り込む、というのはブラジルでも自然にやっていることだからね」
――この試合で、あなたはゴール前のFKを強烈なカーブをかけてゴール右上隅に放り込み、さらに後方からのパスを呼び込んでGKの頭越しに鮮やかなループシュートを決めました。
「いずれも会心のゴールだった。あの感触は、今でもよく覚えている」
自分たちが主体的にプレーすることを重視していた
――オシムは、対戦相手についてはどれくらい研究していたのでしょうか?
「対戦相手の研究は、ほとんど専門のスタッフに任せていたと思う。彼は、相手によってプレーを変えるのではなく、自分たちが主体的にプレーすることに重きを置いていた。自分たちが最高のプレーをして負けたら、それは仕方がない、と考えていたんじゃないかな」
――独特の思想、哲学の持ち主でしたね。