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アントニオ猪木「イメージなんかどうでもいい。国会議員として命を懸ける」…湾岸危機の人質解放につながった“イラク行きの覚悟”
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/05/01 17:02
1990年9月、参議院議員のアントニオ猪木は中国を訪問。当時勃発していた湾岸危機を受けて、同地で大きな決断を下すことになる
しかし、ジャフ大使は「キューバは、アラブ諸国と強いパイプを持っているわけではない。カストロ議長がイラクを訪問すれば、世界的なニュースにはなって個人的には貴重な提案だとは思うけれど」と猪木のプランに否定的だった。
大使は、言葉を続けた。
「決定的な影響力を考えれば、ソ連、中国といった大国が中東の安定に貢献する力を持っていると思います。それよりも猪木さん、あなたがイラクに行くというのはどうでしょうか? 日本のイラク大使は、私の友人です。連絡しておきますから、彼に会ってください」
イラク行きを決意「イメージなんかどうでもいい」
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こうして猪木は、イラク問題解決の糸口を見出そうと動き出した。
その後、中国の呉学謙副首相との会談は釣魚台の大きな迎賓館で始まった。私も同行したが、大きなソファーに座って後方にそれぞれ通訳が付くという中国スタイルだった。
「イラクがクウェートから、まず撤退することだ。そうすれば、アメリカがサウジアラビアに駐留する理由はなくなり、中東の緊張は解消される」
外交のプロと言われていた呉学謙副首相は、そんな建前しか言わなかった。この時点で、中国はイラク問題に対して積極的ではなかった。
だが、猪木の中ではジャフ大使から言われた「あなたがイラクに行くべき」という言葉がもう歩き出していた。
イラク大使館に行っても国会議員にはビザは出ないと言われていたが、それは事実ではなかった。申請した人がいなかっただけだった。
アントニオ猪木がイラクに行く。当時、イラクは日本で悪役として認識されていたから、猪木はその味方と取られかねない。そのため側近からも反対されたようだ。
「イメージなんかどうでもいい。国会議員になった時、この世界で命を懸けようと思った。イラクには人質を含めて300人以上の日本人がいる。行ってみなければ、始まらないよ。結果が悪ければ、バッジを返す」
「俺だって怖いよ。結婚して、子どもも生まれたばかりだ。行くか行かないかの話でなく、イラクに行って何ができるか、何をすべきかなんだ」
そして、猪木は通訳とコーディディネーターを兼ねたU・Dカーンさん、秘書の福田芳久さんと3人でバグダッドを目指した。<前編から続く>