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アントニオ猪木「イメージなんかどうでもいい。国会議員として命を懸ける」…湾岸危機の人質解放につながった“イラク行きの覚悟” 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2022/05/01 17:02

アントニオ猪木「イメージなんかどうでもいい。国会議員として命を懸ける」…湾岸危機の人質解放につながった“イラク行きの覚悟”<Number Web> photograph by Essei Hara

1990年9月、参議院議員のアントニオ猪木は中国を訪問。当時勃発していた湾岸危機を受けて、同地で大きな決断を下すことになる

 私の中には、そんな夢があった。この写真はキューバでしか撮れない。マラドーナも猪木も自由に撮影させてくれるタイプなので、もし3人がキューバで揃うことがあれば絶対に撮れるはずだ。

 しかし、カストロ議長は2016年11月に死去。そして、マラドーナも残念ながら2020年11月に亡くなってしまった。

湾岸危機に立ち上がった政治家・猪木

 話が脱線してしまった。1990年は猪木と中南米を旅した後、9月には新日本プロレスが中国の黒竜江省ハルビンに遠征し、私も同行した。

 ちなみに、その前月にはイラクがクウェートに侵攻している。国連は緊急安全保障理事会を開き、イラクの即時撤退を要求する決議案を採択したが、逆にイラクはクウェートに残留していた外国人を自国に強制連行。その“人質”の中には日本人も含まれていた。

 猪木はこの湾岸危機の解決策として、一番良いのは中国が仲介役になり、アメリカ、イギリス、ソ連、イラクと話をしてくれることで光明が見えるのではないかと考えていた。

 さらに第2案として、一人の人物を思い浮かべていた。

「カストロさんでは、どうだろう」

 カストロ議長は、国連のイラク経済制裁決議を棄権した。「かつてキューバが経済制裁を受けた苦い経験から、大国が経済封鎖をして追い詰めるやり方は容認できなかったのではないか」というのが猪木の考えだった。

 猪木は中国側要人との会談を申し入れていたが、日本からは自民党の金丸信率いる訪中団、ソ連からはシュワルナゼ外務大臣も来たので、会談の日程はなかなか決まらなかった。

 ハルビンでの試合を終えて北京に戻った猪木は、いつも通りに早朝のランニングに出かけて天安門前の大通りを走ったり、万里の長城を訪れたりもした。遠征に同行した長州力ら新日本プロレスのレスラーたちが天安門広場で記念撮影をしているのを見ると、私は「近い将来、この場所でプロレスの試合ができる日が来るかもしれない」と思うようになっていた。

 この時、猪木はまず中国のイラク大使と会談を持った。アリ・ジャフ大使は、日本に7年間もいたことがある。

 猪木は「今回の日本政府の措置は、日本とイラクの友好関係にヒビを入れるものです。国連安保理の決議では、経済封鎖の中に食料、医薬品は含まれていないはずです。これはイラク国民に死ねと言っているようなものです。日本政府はこれに加わるべきではないと私は思っている。中国政府は安保理決議と経済制裁には賛成したが、食料や医薬品の封鎖には賛成していない」とジャフ大使に伝え、その際にカストロ議長の名前も出した。

【次ページ】 イラク行きを決意「イメージなんかどうでもいい」

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