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「まさか、こんなに至近距離で撮影ができるとは…」猪木vsアリを激写したカメラマン(当時大学生)の証言「時間の感覚がなくなった」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/04/21 17:01
当時大学生だった筆者がリングサイドに潜り込んで撮影した写真。試合は終始「寝転がって蹴る猪木、挑発するアリ」という展開だった
私は無我夢中でシャッターチャンスを狙っていた。猪木がスライディングに行く時のシューズがマットに擦れる音がいまだに耳に残っている。アリは大げさな表情を作りながら、寝転んでいる猪木を挑発している。そこに再び猪木がスライディングしてキックを放つ。
リングの中の2人の動きに集中していた私は、時間の感覚がなくなっていた。今になって思えば、リングサイドでカメラのシャッターを押していたのは時間にして2分くらいだったろうか。ふと、誰かに肩を叩かれた。
「ちょっと」
その人は当日、東京スポーツが配布した取材用の帽子をかぶっていた。本来、その位置を割り振れたカメラマンが戻って来てしまったのだ。私は何も言わず、すぐにその場を離れ、急いで2階席に戻った。
リングサイドでどれだけ撮れるかわからないから、その間は冷静ではいられなかった。残念ながら、リングサイドで撮った猪木のスライディングキックは全部空振りだったが、そこにいられただけで奇跡である。
後年の猪木「俺が上になっている写真はない?」
私は2階席に戻ってからも、シャッターを押し続けた。そして、猪木はスライディングキックを放ち続けた。
15ラウンドは、思っていたよりも早く過ぎて行った。この試合で猪木が見せた一発のハイキック、そして倒れたアリの上に乗り、エルボーを打ち下ろす仕草を見せたシーンは猪木の意地だったのはないか。
後年、猪木に聞かれたことがある。
「アリとの試合なんだけど、俺が上になっている写真はない?」
あの一瞬は「プロレスラーは、こういうこともできるんだよ」という猪木の最大のアピールだったと私は思っている。
ついに15ラウンドが終わってしまった。リング上には、ホッとしたように抱き合う猪木とアリがいた。会場内は、そんな安堵感と観客のため息が複雑に交錯していた。
3人のジャッジによる集計の結果はドロー。この試合でもアリはグレイテストなプロフェッショナルだった。ただし、アリの「ボクシング」がほとんど観られなかったので、そこは物足りなさも少しあった。
帰り際、私が日本武道館の外に出ると、目の前を黒塗りの高級車が通り過ぎた。その窓からは、白いローブを着たままのアリの姿が見えた。
ちょうどアリがホテルに帰るところだったが、あまりにも急なことでバッグからカメラを取り出す時間がなく、残念ながらその姿は撮れなかった。<#3へ続く>