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“世界で一番強い男”モハメド・アリはなぜ日本でアントニオ猪木と対戦したのか?「どうせ実現できっこない話」が真実味を帯びた瞬間

posted2022/04/21 17:00

 
“世界で一番強い男”モハメド・アリはなぜ日本でアントニオ猪木と対戦したのか?「どうせ実現できっこない話」が真実味を帯びた瞬間<Number Web> photograph by Essei Hara

1976年6月26日、日本武道館で対決したアントニオ猪木とモハメド・アリ。「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた同試合は全世界の注目を集めた

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

1976年6月26日、日本武道館で行われたアントニオ猪木vsモハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」。50年間に渡って猪木を撮り続けた写真家は、いまだ語り継がれる「世紀の一戦」をどのように見つめていたのか。貴重な写真とともに当時の記憶を振り返る。(全3回の1回目/#2#3へ) ※本稿は原悦生氏の著書『猪木』(辰巳出版)の一部を抜粋、再編集したものです。

 やはり、モハメド・アリ戦だったと思う。

 あの日、猪木が日本武道館でアリと戦うことがなかったら、私は猪木をこんなに長く追うことはなかっただろう。好きだった猪木という男が世界のアリと戦うのだから、これだけは見逃すことはできない。

 1年間、浪人生活を送った私は志望していた早稲田大学に入学できた。

 しかし、すぐに「さあ、プロレスだ」とはならなかった。東京スポーツやデイリースポーツは毎日買っていたが、試合はやはりテレビで見る日々が続いた。

 だから、1975年10月9日の猪木vsルー・テーズ戦も同年12月11日の猪木vsビル・ロビンソン戦も会場は蔵前国技館だったが、生観戦はしていない。

 あれは2014年2月にロビンソンが亡くなった後のことである。何かの用事で猪木に会った際、私は雑談の中で何気なく「ロビンソン、亡くなっちゃいましたね」と口にした。

「ロビンソンは、観客には見えないような技を知っていたね」

 そんな猪木の言葉を聞くと、「ロビンソン戦は、たとえ2階席からでも撮影しておいた方が良かったなあ」と思ってしまうが、今になって後悔しても仕方がない。

当時“世界で一番強い男”といえばモハメド・アリだった

 猪木vsアリ戦が行われたのは翌1976年、私が大学2年生の時だ。

 さすがに、この試合は会場で見なければいけないと思い、売り切れないうちに池袋の東武デパートにあったプレイガイドで切符を買い求めた。この試合はロイヤルリングサイドが30万円、特別リングサイドが10万円と高額な値段設定でも話題となったが、私が購入したのは一番安い5000円の2階席だった。

 また、新宿のアドホック後楽園というビルへ行くと猪木vsアリ戦のポスターがただでもらえるという記事を東京スポーツで読み、友人と一緒に出向いた。これは東京スポーツが独自に作ったポスターで金色と銀色の2種類あったが、アドホック後楽園に着くとそれほど人がいなかったので、私は金色の方のポスターを簡単に入手することができた。

 モハメド・アリ。前の名前をカシアス・クレイといったが、当時は日本でも“世界で一番強い男”として子どもでもその名を知っていた。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿が見えない。見えない相手を打てるはずがないだろう」

「不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、事実ではなく、見解の一つだ。不可能とは、可能性だ。不可能など、何でもないのだ」

 どちらもアリの有名な言葉だが、後者の最後のフレーズ「Impossible is nothing」は、後にアディダスのコマーシャルにも使われた。

【次ページ】 公民権運動やベトナム反戦運動のアイコンに

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