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“世界で一番強い男”モハメド・アリはなぜ日本でアントニオ猪木と対戦したのか?「どうせ実現できっこない話」が真実味を帯びた瞬間
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/04/21 17:00
1976年6月26日、日本武道館で対決したアントニオ猪木とモハメド・アリ。「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた同試合は全世界の注目を集めた
アリ側にとっては契約書など、ただの紙切れに過ぎない。だが、アメリカでもWWF(現・WWE)のビンス・マクマホン・シニア、AWAのバーン・ガニアらが日本での猪木vsアリにリンクするイベントを行い、クローズドサーキットを含めた巨額のビジネスに発展させたため後には引けなくなっていた。
「ペリカン野郎」「お前は“蟻ん子”」試合前の舌戦
この時期、猪木の傍らには通訳のケン田島氏が寄り添っていた。その田島氏の英語がネイティブよりも格好良かった。猪木とアリのやり取りが面白かったのは、田島氏の訳と言葉の巧みさがあったからだろう。
アリに「ペリカン野郎」と呼ばれた猪木は、「お前の名前は日本では“蟻ん子”だ。踏んづけてやる」と返した。
猪木は試合直前、テレビでも放送された調印式のレセプションでリボンが付いた紙包みをアリに送った。中身は松葉杖だった。
その後、アリは書類にサインした際に手がブルブルと震えていた。あれが彼なりの試合を盛り上げるパフォーマンスだったとしたら、アリはやはり一流のプロフェッショナルということになる。
猪木がアリに勝ったら、どうなるのだろう。もし負けたら、どうなるのだろう。私は、そんなことも考えていた。アリに勝った猪木は、どこか遠くの世界に行ってしまうのか。
もしアリに勝ったら、その猪木を使ってアメリカのプロモーターたちが向こうで新しいビジネスを始めるかもしれない。そうなると、日本で猪木の試合が見られなくなるのではないか。
ただし、正直に言うと猪木の勝ちは考えづらかった。相手はボクシングの現役ヘビー級世界チャンピオンである。しかし、もし負けたら猪木はプロレスの試合を続けられるのだろうか。
猪木の反則負けという展開も考えられた。猪木がアリを捕らえ、ヘッドロックで締め上げる。レフェリーが止めても離さない。もし猪木が勝つ場合、大技ではなく、古典的なプロレス技で決まるというイメージが私の中にあった。
アリ戦が決まった後、猪木は2月にミュンヘン五輪の柔道金メダリスト、ウイリエム・ルスカと初の異種格闘技戦を行った。
この試合はテレビで見た。世間ではルスカと猪木のチーズvs納豆論争などで盛り上がっていたが、私の中では「どうしてアリ戦を前に、こんな日程でルスカとの試合を組むんだろうな?」という思いがあった。それほど生で観戦したいと思わなかったのは、すでにアリ戦が決まっていたからだろう。<#2へ続く>
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