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“世界で一番強い男”モハメド・アリはなぜ日本でアントニオ猪木と対戦したのか?「どうせ実現できっこない話」が真実味を帯びた瞬間
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2022/04/21 17:00
1976年6月26日、日本武道館で対決したアントニオ猪木とモハメド・アリ。「格闘技世界一決定戦」と銘打たれた同試合は全世界の注目を集めた
カムバック後、初めて敗北を喫したジョー・フレージャー戦、フレージャーを破って新世界王者となったジョージ・フォアマンとの対決は東京12チャンネル(現・テレビ東京)の「宇宙中継」で見ることができた。
高田馬場で目にした「キンシャサの奇跡」
私がアリという存在を意識し始めたのは、この頃である。まるでプロレスラーのようにカメラに向かってビッグマウスで吠えまくる姿が新鮮で、興味を持ったのだ。しかも、アリの動く姿は「宇宙中継」でしか目にすることができないから、どこか“別世界の人間”という感じで捉えていた。
1974年10月30日にアフリカのザイール(現・コンゴ民主共和国)で行われた前述のフォアマン戦は「キンシャサの奇跡」と呼ばれる逆転KO劇で、まるで映画の世界のようだった。
このフォアマンとアリによるWBAとWBCの統一世界ヘビー級戦を私は昼間、高田馬場のBIGBOX内で見た。ここのボウリング場のフロアには大きなテレビがあり、そこで友達と一緒に観戦したのだ。
会場内に「アリ、ボンバイエ!」の声援が響く中、ロープを背負ったアリは劣勢に見えた。
「アリ、負けちゃうね」
「うん、さすがにフォアマンには勝てないだろうな」
試合中、友達とはそんな会話を交わしていた。「どこでアリがダウンするのかな?」と思いながらテレビを眺めていると、いきなり怪物のように見えたフォアマンが前のめりに倒れ、キャンバスに沈んだ。
「アリが勝っちゃったよ!」。
その瞬間は、どこでアリのパンチが当たったのかわからなかった。私の目には突然、フォアマンがスローモーションで倒れたように映った。
「どうせ実現できっこない話」が現実に
その後、日本レスリング協会の八田一朗氏が「アリが日本の格闘家と戦いたがっている」という話を報道陣に語った。これが猪木vsアリ戦の始まりである。
猪木も新日本プロレスも、この「どうせ実現できっこない話」にダメもとで取り組んだ。当初、アリ側は相撲取りか空手家が名乗りを上げてくると思っていたようだ。
あり得ない話が進んで、試合は1976年6月26日に東京の日本武道館で行われることになった。
私は、この一戦の情報を追い続けた。猪木vsアリ戦はこの年の3月にニューヨークで行われた共同記者会見から、一気に真実味を帯びたような気がする。そして、アリは本当に日本にやって来た。それでも、当日まで試合が行われるかどうかはわからなかった。