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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「パンチョ伊東さんに相談したら…」日本の元祖MLB愛好家・池井優(87歳/慶大名誉教授)が現地で見た“昭和の大リーグ事件史”
posted2022/04/10 11:02
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Wataru Sato
慶應義塾大学名誉教授の池井優氏(87歳)と言えば、1977年に出版された『大リーグへの招待』(平凡社カラー新書)を筆頭に、昭和の野球ファンにとってはメジャーリーグ(当時は大リーグと呼ばれていた)の世界を紹介してくれた“恩師”のような存在ではないだろうか。
労使交渉のもつれで開幕が危ぶまれた今年のMLBだが、4月8日に開幕を迎えた。この球春に、池井優氏に半世紀前のMLBや大谷翔平など日本人選手について、じっくりと話を聞いた(全2回/#2も)。
敗戦後の暗い日本の空気を変えた1つが野球だった
「いや、朝から日吉(慶應義塾日吉球場)で、(慶應義塾大学の)練習試合を見てきたんだよ」池井氏は快活に言った。
長嶋茂雄や野村克也の1学年上、御年87歳とは思えない元気さだ。話を聞いたのは東京ドームに併設されている野球殿堂博物館の特別室。この博物館の維持会員である池井氏にとっては、勝手知ったる場所ではある。
池井氏に野球との出会いから聞くと、日本やアメリカの戦後史と野球のかかわりが見えてきた。
池井:「六三制、野球ばかりがうまくなり」という川柳がありましてね。戦争中は、国民学校(今の小学校)で忠君愛国思想を叩きこまれていたんですが、終戦の天皇陛下の玉音放送を疎開先の信州信濃のお寺で聞いて、11月頃東京に帰ってきたんだけど、周りが全部焼け野原。そこへアメリカ兵、進駐軍が来た。僕が最初に覚えた英語は「Give me chocolate」でした。「お前、“チョコレート”じゃない、“チャカレ”って発音しないと通じねえんだぞ」って言いましてね。
そんな敗戦後の暗い気持ちだった日本人に、希望を与えたものが3つありました。1つは並木路子の歌う『リンゴの唄』。2番目が川上の赤バット、大下の青バットに象徴される職業野球復活ですよ。それから第3が古橋廣之進に代表される日本水泳勢の活躍です。
戦前の教科書に墨塗りをしたり、価値観が一変した中で、野球をやりました。用具がないですから「ゴロベース」といって、ゴムまりを転がして手で打ちましたね。それから次にようやく布製のグローブ、竹のバットでボールをひっぱたくようなことをやって、人数が足らないと、三角ベースをやっていました。
映画『ルー・ゲーリック物語』に本物のベーブ・ルースが
さらに当時観た映画が『打撃王 ルー・ゲーリック物語』。ゲーリー・クーパー主演で、テレサ・ライトが妻の役を演じ、さらには本物のベーブ・ルースが出演したんですよね。これを見て、アメリカの野球っていうのはすごいな、ヤンキースタジアムでホットドッグを食べながら大リーグを観たい、と思ったわけです。
1949年にサンフランシスコ・シールズがやってきた際、神宮球場で初めてコカ・コーラとホットドッグを買いました。コーラは高かったので友達3人と回し飲みをして、「おい、アメリカのサイダーって薬くせえぞ」って言ったのを覚えていますよ(笑)。
日本の選抜チームはシールズに7戦全敗でしたが、シールズはいわゆる、AAAのチームでした。この上に大リーグがあるんだと知ったときに、衝撃を受けましたね。