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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「パンチョ伊東さんに相談したら…」日本の元祖MLB愛好家・池井優(87歳/慶大名誉教授)が現地で見た“昭和の大リーグ事件史”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byWataru Sato
posted2022/04/10 11:02
慶大の池井優名誉教授。日本に大リーグの面白さを伝えた第一人者だ
彼の名前はエアハルトと言って、ドイツの首相と同じ名前のドイツ移民でした。ニューヨークのブルックリンに住み着くと、ドジャースの本拠地エベッツ・フィールドの歓声が聞こえるところで育ったそうです。
ところが当時オーナーのウォルター・オマリーがドジャースをロサンゼルスに持って行ってしまい、ニューヨーク・ジャイアンツもサンフランシスコに行った。「俺は生きがいを失いそうになったが、4年間の空白を経てニューヨーク・メッツが誕生した。よーし、弱いなりに面倒みてやるぞと、プラカードを持って応援し始めた」そうです。
私が「あなたはシェイ・スタジアムの名物男だけれども、メッツから何かしてもらっているのか?」と聞くと、「タダ券1つもらったことない。金曜日のナイターと、土日のデイゲームだけ来てるんだ。ただ、オークランド・アスレチックスと、メッツのワールドシリーズでは、ファンが『あの“サインマン”を連れて行け!』と言ったので、メッツに招待されて選手と同じ飛行機に乗せてもらって、オークランドに行った」と言っていましたね。
1970年代にアメリカ中を回って作り上げた書籍
池井氏はアメリカ野球学会 (Society for American Baseball Reseach=SABR)にも入会。フィラデルフィアでの臨時総会で研究発表もした。その後、日本に支部も設立。単にアメリカの野球を紹介しただけでなく、「野球文化」を日本に紹介し、野球の楽しみ方をさらに豊かに、奥深くした。こうした功績も大きい。
とりわけ影響を与えたのは、冒頭に挙げた『大リーグへの招待』だろう。出版された翌1978年にはフジテレビが「アメリカ大リーグ実況中継」を開始するが、筆者を含めた当時のファンは池井氏の新書を手に、テレビにかじりついたものだ。
池井:当時、日本人大リーガー第1号の村上雅則さんを呼んで話をしてもらうとか、いろんなことをやっていました。そこへ『大リーグへの招待』という本を作りませんかという話が来た。栗原達男さんという朝日新聞の写真部にいた方が独立して、一緒に取材に行くことになった。北はボストンから南はサンディエゴまでメジャーリーグの球団を回りましたね。
僕も栗原さんも好奇心旺盛ですから――例えばドジャースタジアムと後楽園球場のトイレはどう違うとか(笑)、監督室がどう違うとかね。色々撮らせてもらいました。
子供にベースボールを教えるコツは「楽しさ」だった
あとは『Ted Williams Baseball Camp for Boys』というのにも行きまして、アメリカというのは子供にどうやって野球を教えるのかを取材しました。
このキャンプは8歳から18歳までの子供たちを対象に1週間、2週間、3週間コースで野球を教えます。立派な宿舎があって、コーチはリトルリーグの指導者や高校野球の監督などが年齢に応じて来ているんですね。そこで「子供と一緒に野球を教わりたい」と言ったら「何歳のチームに入るかね?」、「8歳や10歳じゃ物足りないし、18歳じゃちょっと厳しそうだから14歳にしてください」となりまして。
14歳のチームに入れてもらったんですが、このキャンプではキャッチボールから始まって、ノックもボールを怖がる子どもたちに少しずつ、丁寧に教えていくんです。
最後の日に、コーチに「子供たちにベースボールを教えるコツはなんだ?」と聞くと「将来の大リーガーにさせようとかじゃない。こんなに楽しいベースボールを、明日も明後日も、5年後も10年後もやりたいという気持ちにさせてあげることだ」と言うんですよね。
日本の高校生に話を聞くと「何度もやめたいと思ったけど、もうちょっと頑張ればレギュラーになれるんじゃないか、甲子園に行けるんじゃないかって頑張ってきました」と言いますが、そういう経験で指導者になると「お前、何やってんだ」という方向になるのではないかと思います。日本で必要なのは、いかに楽しくベースボールをやらせるかだと思いますね。
この本は、日米の野球文化の違いも浮き彫りにした。権藤博(元横浜監督)は、池井氏に「この本1冊だけもってアメリカに行くよ」と言ったという。後編ではMLB解説や、野茂英雄から大谷翔平まで近年の日本人メジャーリーガーへの印象を聞いた。<つづく>