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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「パンチョ伊東さんに相談したら…」日本の元祖MLB愛好家・池井優(87歳/慶大名誉教授)が現地で見た“昭和の大リーグ事件史”
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byWataru Sato
posted2022/04/10 11:02
慶大の池井優名誉教授。日本に大リーグの面白さを伝えた第一人者だ
ちょうど野球殿堂博物館では「野球伝来150年記念展『第2期 1946-1988 国民的スポーツへ』」を開催していたが、池井氏が展示されている大下弘の青バットを興味深そうに見つめる姿が印象的だった。そんな池井氏は慶應義塾大学に進み、大学院で日本外交史の研究を専攻した。
初めてのヤンキースタジアムで見たミッキー・マントル
池井:1964年、東京オリンピックの年に、アメリカに留学しないかという話が出まして「ぜひ行きます」と言った。慶應からは“ハーバードに行け”と言われたんです。ハーバードには私の専門に近いエドウィン・ライシャワーさんがおられたのですが、ライシャワーさんは駐日大使になってこっちに来ているタイミングでした。
それ以上にボストンだったら(MLBのチームが)レッドソックスしかない。ニューヨークに行けばヤンキースとメッツがあるじゃないかと。コロンビア大学にジェームス・W・モーリーという私の専門に近い先生がいて、連絡したら「こっちに来ないか」ということになって、1カ月も経たないうちに移りました。
そして忘れもしない1964年の4月16日、ヤンキースタジアムに行きました。1ドル50セントの外野席に座って。そしたら目の前にミッキー・マントルがいるんですよね。「ああ、これは夢じゃない」って、これがメジャーリーグとの出会いでしたね。
きっかけをくれたのはパンチョ伊東さんだった
その9年後の1973年、池井氏はアメリカの野球をさらに深く理解する機会に恵まれる。
池井:この年にコロンビア大学が今度は客員准教授で呼んでくれると。少し経済的にもゆとりが出ましたから、“今度は大リーグを本格的に観て研究してやろうではないか”と思い立ちました。
当時大リーグに一番詳しいのは、パ・リーグ広報の伊東一雄(パンチョ伊東)さんでしたね。彼に相談したら「あなた、どういう経路でニューヨーク行きますか」と言うから、「ハワイ、ロサンゼルス経由で行きます」と。伊東さんは「じゃあロサンゼルスで、ドジャースのオマリーさんのところに、アイク生原さんがいるから、訪ねなさい」と言った。生原さんにお手紙差し上げたら、律儀な方で、すぐお返事をくださって「わかりました。ピーター・オマリーを紹介しますから」といって、ドジャースのオマリー会長にお目にかかることになった。
オマリー会長は「あなた、本当に野球好きだね。What can I do for you?(何かしてあげられることないか?)」と、アメリカ人の対応は素早くていいですね(笑)。
私は「1年間ニューヨークにいますので、ヤンキースとメッツにご紹介いただけませんか」と言いました。「おやすい御用だ。ただ紹介状というのは時々偽物が出回るからな、このコピーを向こうに送っておく。ニューヨークに着いたらヤンキースとメッツの広報担当に“ドジャースのピーター・オマリーから手紙が来ているだろう”と連絡しなさい」と取り計らってくれたんです。
実際、ニューヨークに行ったら「オマリー会長から連絡がきているからいつでもおいで」と言われて、ありがたいことにいつでもタダ券をいただいて試合を観ていました(笑)。