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フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
7歳上の浅田真央が「昌磨君はフィギュアに来なよ」宇野昌磨、浅田、安藤美姫…なぜ日本の名フィギュアスケーターは愛知から生まれるのか?
posted2022/04/08 17:06
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph by
AFLO
今年3月下旬に開催されたフィギュアスケート世界選手権の男子シングルでは、宇野昌磨が2月の北京冬季五輪の銅メダルに続き、悲願の金メダルを獲得した。これと前後して3月15日、宇野を育てた樋口美穂子コーチが、長らく所属した「グランプリ東海クラブ」から独立し、新たなフィギュアのクラブ「LYS」の代表に就任すると報告していた。
グランプリ東海クラブは、名古屋市内の「名古屋スポーツセンター」をホームリンクとし、山田満知子コーチと二人三脚で日本人初の世界選手権優勝や五輪メダル獲得を果たした伊藤みどりをはじめ、恩田美栄、中野友加里、浅田真央、村上佳菜子など世界で活躍する選手を輩出してきた名門である。樋口コーチも選手時代より山田コーチに学び、指導者に転身後はアシスタントなどを務めながら、宇野昌磨たちの指導にあたってきた。プログラムの振付にも定評がある。山田門下からは、恩田美栄もすでに独立してやはり愛知県内で指導にあたっている。
上に名前を挙げた選手のすべてと、先の北京五輪と世界選手権に出場したなかでは女子シングルの河辺愛菜とペアの木原龍一も愛知県出身である。彼・彼女たちだけでなく、愛知からはこれまでに多くの選手が輩出されてきた。北京五輪と世界選手権の男子シングルであいついで銀メダルを獲得した鍵山優真も、父・正和が愛知出身で、1991年の世界選手権で6位に入賞し、五輪にも翌1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルと2度出場した日本男子のパイオニア的存在だった。
「これじゃ“日本対世界”じゃなくて“愛知対世界”だ」
今世紀に入ってからの冬季五輪では毎回、愛知出身の選手が日本代表に選ばれてきた。とくに2010年のバンクーバーと続く2014年のソチでは、女子シングルの3選手がすべて愛知出身者で占められた(鈴木明子と浅田真央に加え、バンクーバーでは安藤美姫、ソチでは村上佳菜子が出場)。当時、ネットで、「これじゃ“日本対世界”じゃなくて“愛知対世界”だ」というような書き込みがあったのを思い出す。バンクーバーの代表選考ではやはり愛知出身の中野友加里が僅差で出場を逃している。
同時期には男子シングルでも小塚崇彦がバンクーバー五輪に出場するなど活躍している。中京大学の豊田キャンパス(愛知県豊田市)にフィギュアスケート専用アイスアリーナ「オーロラリンク」が竣工したのもちょうどこのころ、2007年である。当時、同大学には小塚や安藤美姫、附属の中京大中京高には浅田真央が在籍し、各校を運営する梅村学園を挙げてフィギュアスケートの選手支援に本腰を入れ始めていた。企業にも支援金を募り、そのひとつが地元を代表する世界企業・トヨタ自動車だった。小塚や安藤、また宇野昌磨は在学中よりトヨタに所属するが、その関係もこのとき始まった。
なぜ愛知でフィギュアが盛んになったのか?
もっとも、愛知県において学校や企業がフィギュアスケート選手を支援する体制が整えられたのは比較的最近のことである。「フィギュア王国・愛知」と呼ばれるまでには、それ以前から地域社会のなかで培われてきた土壌があった。ここからは、歴史をひもときつつ、なぜ愛知でフィギュアスケートが盛んになったのか、その理由を探ってみたい。