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《引退》メダリスト加藤条治は“ボロボロになって負ける姿”を伝えたかった…サンキョー廃部の“厳しい環境”も、森重航らは「世界でトップを張れる」 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2022/04/02 17:00

《引退》メダリスト加藤条治は“ボロボロになって負ける姿”を伝えたかった…サンキョー廃部の“厳しい環境”も、森重航らは「世界でトップを張れる」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

スピードスケートのメダリスト加藤条治37歳が引退。会見で語った「理想の引き際」、そして環境の厳しさが伝えられるスケートの未来をどう考える?

「僕が一番感じたのは清水宏保さんの引退なんです」

清水宏保、長島圭一郎への思い

 1998年長野五輪金メダリストであり、2005年に加藤が世界記録を出す前の世界記録保持者でもあった清水は、19歳だった1994年のリレハンメル五輪から31歳だった2006年トリノ五輪まで4大会に出場し、金メダル1個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得している。加藤には高校時代に合宿で清水の後ろにつかせてもらって滑った後から急激に滑りが向上したという経験があり、自身が世界のトップ争いをするようになってからも常に尊敬のまなざしを寄せていた。

 その清水が引退を表明したのはバンクーバー五輪の代表選考会で敗れてから約2カ月後の2010年2月19日。36歳になる誕生日の1週間前のことだった。トリノ五輪後の清水は思うような成績を出せず、苦しいことが多かった。

「あれだけ強かった選手が、なかなか勝てなくなり、もがいてもがいて、僕みたいな(若い)選手にも負けてしまったり、代表に入れなかったり……。その時から、すべてをやりきってやめる姿って、すごく格好いいなと思っていたんです。絶頂のうちにやめるのも格好いいと思っていたのですが、僕は最後まで戦い抜いた男の姿が格好いいと、清水さんを見て思いました」

 2019-2020年シーズンに引退することも考えたという加藤は、清水に伝えたところ、「五輪チャレンジまでやった方がいい」と言われ、踏みとどまったというエピソードも明かした。

 日本電産サンキョー時代の同僚であり、長い間ライバルとして火花を散らしていた長島圭一郎の姿も、加藤の「理想の引き際」への思いをさらに強めた。長島は2015年に一度引退したが、平昌五輪を目指して現役復帰。2017年12月の五輪代表選考会で敗れて再び引退した時は35歳8カ月だった。

「第一線で1、2位争いをしていた長島さんが勝てなくなって来た時期は、見ていて僕もつらいことがあったのですが、その中でも最後までもがいて、しっかり負けて、やりきれたというのがすごく格好よく思えました。先輩方を見て、自分も中途半端には終われないと思っていました」

ラストレースで転倒…「途中棄権と最下位はまったく違う」

 結果的に加藤のラストレースとなった昨年12月29日の北京五輪代表選考レースでは、5度目の五輪に手が届きそうな滑りを披露した。最終コーナー手前までの滑りは完璧だったが、スピードに乗りすぎて遠心力に技術や体が耐えられなかったのか、惜しくも転倒。しかし、立ち上がってゴールした。

【次ページ】 かつて所属・日本電産サンキョーが廃部…今後の活動は?

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