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35年前、PL学園が伝説になった日…桑田&清原も果たせなかったセンバツ優勝も、キャプテン立浪「力で圧倒して勝ちきったわけではない」 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKatsuro Okazawa/AFLO

posted2022/03/17 11:05

35年前、PL学園が伝説になった日…桑田&清原も果たせなかったセンバツ優勝も、キャプテン立浪「力で圧倒して勝ちきったわけではない」<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

1987年夏の甲子園、春夏連覇を果たしたPL学園キャプテン・立浪和義。立浪世代のPLが甲子園で見せた激闘とは

「とにかく今でも覚えているのが、優勝旗が重かったことなんです。閉会式ではキャプテンが旗を持ったまま、場内を一周するでしょう? もう腕がぱんぱんになって、肩がつるんじゃないかと思うくらいでした。春も夏も同じようにね」

 持って歩いた人間でなければわからないうれしさと苦しみ。ちなみに、立浪は夏の閉会式を終えた後、自らが守ったショートの定位置に走り、甲子園の土を持ち帰っている。

プロ5人を輩出、タレント揃いの立浪世代

 このチームからは立浪以外にも橋本清、野村弘(弘樹)、片岡篤史、1学年下の宮本慎也と5人のプロ野球選手を輩出している。文字通りのエリート軍団だが、力で圧倒して勝ちきったわけではないと立浪は言う。

「春はギリギリで出ましたから。1試合ずつ自信をつけていった結果という感じです。後々、プロになっているから『勝って当たり前でしょ』と見られがちですが、夏も大阪で勝ち上がるのが大変でしたから。実際、大阪の決勝はサヨナラ勝ちでした」

 前年秋は大阪府大会3位で、近畿大会も4強止まりという結果での選出だった。選抜の5試合を見ると、すべてが継投だった。野村、橋本に加え、岩崎充宏という3本柱がそろっていた。2試合が延長戦だったとはいえ、夏の甲子園も6試合中、完投は2試合のみ。球数制限がある現在とは違い、負けるまでエースが投げ続けるのが当たり前だった時代に、豊富な投手力で勝ちきった。

「一番印象に残っている試合といえば、帝京高校との試合になりますね」

【次ページ】 思い出される“PL学園×帝京の激闘”

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