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高梨沙羅のスーツ規定違反で再燃…90年代、スキー競技で「日本を狙ったのでは?」と言われた“2つのルール改正”とは
posted2022/03/03 17:03
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Getty Images
北京五輪は、数々の選手の輝かしい活躍に彩られ、大会を終えた。
その一方で、カミラ・ワリエワのドーピング違反をはじめ、ショートトラックの判定を巡る批判、高梨沙羅も対象となったジャンプ混合団体のスーツ規定違反、スノーボード・ハーフパイプにおける平野歩夢の2回目試技の採点への疑問など、さまざまな問題も噴出した。
いつも以上に観戦側も“ルール”を意識することになった北京五輪。ルールと言えば、過去に日本が強豪として活躍していた競技で『不利なルール改正が行われた』と話題になったケースもある。今回の大会期間中も、度々取り上げられることがあった。
そこで、日本を狙い撃ちしたとも言われた2つのルール改正を振り返りながら、スポーツとルールについて考えてみたい。
90年代、日本のノルディック複合は“絶対王者”だった
1つには、ノルディック複合でのルール改正がある。
90年代、日本ノルディック複合は世界を席巻していた。オリンピックでは、1992年のアルベールビル、1994年のリレハンメルの団体を連覇。リレハンメルでは河野孝典が個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得している。ちなみに個人ラージヒルは当時行なわれていなかった。
世界選手権でも1993、1995年大会の団体を連覇。さらに荻原健司が1993、1997年の個人ノーマルヒルで優勝を果たしたほか、ワールドカップでも1992-1993、1993-1994、1994-1995シーズンに3季連続で総合優勝を飾っている。3連覇は世界初のことであった。
しかし、その後に、日本はその地位を失っていくことになる。原因となったのがとあるルール改正だった。
日本の必勝パターンを封印する“換算比率の変更”
ノルディック複合では、前半に実施するジャンプのポイント差をタイムに換算し、それをもとに後半のクロスカントリーは時間差でスタートする。当時の日本は、得意のジャンプで大きな差をつけ、そのリードを持って後半のクロスカントリーで逃げ切るパターンを確立していた。その証拠に、アルベールビルでは2位に1分26秒4、リレハンメルは4分49秒1という大差で優勝している。このルール下で、どれだけ日本が圧倒的だったかが分かるだろう。