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高梨沙羅が「もうひとりのサラ」に勝利し、観衆を魅了した“10年前、伝説の大ジャンプ”とは…「一日11時間勉強」の超ストイック秘話も

posted2022/03/09 17:00

 
高梨沙羅が「もうひとりのサラ」に勝利し、観衆を魅了した“10年前、伝説の大ジャンプ”とは…「一日11時間勉強」の超ストイック秘話も<Number Web> photograph by Getty Images

ライバルとして互いをリスペクトする高梨沙羅とサラ・ヘンドリクソン。ヘンドリクソンは2021年に現役引退を表明した

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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涙の北京冬季五輪から約1カ月。スキージャンプの高梨沙羅は見事に復活を遂げ、自身が持つワールドカップの歴代最多優勝記録を63勝まで更新した。その類まれな芯の強さは、どのように育まれたのか。日本の女子ジャンプの成長を追い続けてきた松原孝臣氏の著書『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』(文藝春秋)から、ワールドカップ初優勝を果たした10年前の「天才少女」の肖像を紹介する。(全2回の1回目/後編へ)

もうひとりのサラ

 ワールドカップで表彰台に上り、ユースオリンピックでは金メダルを獲得。一躍世界のトップに躍りでた2011-2012年のシーズンのハイライトは、3月にあった。

 高梨の他に、ワールドカップでは、破竹の勢いで勝ち進む選手がいた。

 サラ・ヘンドリクソン(アメリカ)という。奇しくも高梨と同じ名前だった。

 ヘンドリクソンは1994年8月1日生まれ。高梨の2つ上にあたる。

 このシーズン、ヘンドリクソンはワールドカップ開幕戦で優勝を飾ると、第2戦こそ9位に終わったものの、第3戦からは3大会連続優勝を果たし、その後も常に1位か2位を保ち続けた。

 高梨が失敗の少ないジャンパーであると言われるように、もう一人の「サラ」の安定感も際立っていた。

「教科書のようだ」

「精密機械」

 ヘンドリクソンを伝える記事の言葉が、彼女の精度の高いジャンプを物語っていた。

 ユースオリンピックを経て、2月、スロベニアのリュブノで行なわれた大会からワールドカツプに戻った高梨の前に立ちはだかったのもヘンドリクソンであった。リュブノであった2大会ではともに、高梨はヘンドリクソンに次ぐ2位に終わった。

 そのあとに行なわれた世界ジュニア選手権の個人戦こそ、ヘンドリクソンに勝利して帰国するが、トップクラスがそろうのはワールドカップである。ワールドカップで勝ってこそ、価値も大きい。

 帰国した高梨は、3月3日と4日に蔵王で行なわれるワールドカップに臨んだ。3月3日に2試合、4日に1試合、2日間で計3試合を行なうハードなスケジュールが組まれた地元日本での大会で、ヘンドリクソンに勝ちたかった。

 3日の朝、競技場に姿を現した高梨はウォーミングアップを始めた。

 小さな台の上に乗ると、相対して立っているコーチヘ向かって飛び込む。コーチは高梨の体を両手で受け止めて持ち上げると、いったん静止し、台へ戻る。「ふっ」と緊張をほぐすようなひと呼吸のあと、一連のサイクルを繰り返す。踏み切り動作の練習である。コーチの手の上で静上した瞬間の目が、繰り返すごとに鋭さを増していった。

【次ページ】 「すべてがパーフェクト」な大ジャンプ

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