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箱根駅伝を“1月1日”に辞退、誹謗中傷を受けた元早大ランナー・三田裕介32歳が明かす真実「可哀想な奴という視線がつらかった」
text by
加藤康博Yasuhiro Kato
photograph byYuki Suenaga
posted2022/03/03 17:02
早稲田大学で箱根駅伝優勝を経験し、現在は企業で陸上部の監督を務めている三田裕介
ネットの誹謗中傷も…「可哀想な奴という視線がつらかった」
「自分なりにチームに貢献したいと考えた時、走らない選択がベストと思ったのです。代わりの選手はもちろん、他の選手にも謝りました。彼らは笑って、“大丈夫です!”って言ってくれましたが、内心は“この野郎”と思っていたと思います。4年生で長距離ブロック長の自分が走らないわけですからね。翌朝、自分の状態を確かめるためにもう一度走ってみましたが、やっぱりダメでした。当日4区にエントリーした選手が区間5位で力走してくれたことに心から感謝しましたし、自分が走っていたらそれ以上の走りができたとは思えなかったです」
だが周囲はざわめいた。大会直後、「重圧に耐えられなかったゆえの欠場」という旨の報道がされたこともあり、ネットには誹謗の声が書き込まれた。さらに三田が20日後に行われた都道府県対抗駅伝に出場し、好走したことも「箱根も走れたのでは?」との疑念を生んだ。
「“プレッシャーに負けた可哀想な奴”という目で見られるのがつらかったですね。当時はそれに対してどうすることもできなかったですし、自分の心をどう持っていくべきかも分からなかったです。ただ間違いないのは3冠のかかっていた前年の大会の方がプレッシャーは感じていました。4年目のこの大会前はそこまでの重圧はなかったですし、自分ではそれに負けたとは思っていません。この箱根の時点では走れる状態ではなかった。そしてそこから調子が上がっていったということです。ただそれはなかなか理解してもらえなかったです」
当時の監督、スタッフはどう感じていたのか?
三田は自分の決断は間違っていなかったとの思いを持ってこの10年を過ごしてきた。ではスタッフ陣はどう感じていたのだろうか。当時の指揮官、渡辺康幸氏はこのように振り返る。
「三田の申し出を受けた後、当時コーチだった、相楽からレース直前の1週間、三田の練習での走行距離が少ないことを指摘され、外す決断をしました。三田は本番に強いタイプでしたので、走ればそれなりの結果で走ったような気もしますし、今となってはこの決断が正しかったのかは分かりません。ただ信頼している選手が走れないというのであれば、起用できないですよね」
現在、早大で駅伝監督を務める相楽豊氏もそれに同調する。
「通常、箱根前になると選手の状態は仕上がり、見ていてワクワクするのですが、あの時の三田にはそうしたものがなく普通だったと記憶しています。仕上がっていないことに加え、本人が走れないとなるとブレーキになるイメージしか持てません。起用すべきではない、という判断は正しかったと思います」