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箱根駅伝を“1月1日”に辞退、誹謗中傷を受けた元早大ランナー・三田裕介32歳が明かす真実「可哀想な奴という視線がつらかった」 

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加藤康博

加藤康博Yasuhiro Kato

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photograph byYuki Suenaga

posted2022/03/03 17:02

箱根駅伝を“1月1日”に辞退、誹謗中傷を受けた元早大ランナー・三田裕介32歳が明かす真実「可哀想な奴という視線がつらかった」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

早稲田大学で箱根駅伝優勝を経験し、現在は企業で陸上部の監督を務めている三田裕介

 異変が顕在化したのが箱根駅伝往路の4日前、12月29日のことだ。調整練習で、いつもの通り三田が先頭を引いてトラックを周回していたが、思うようにペースが上がっていかなかった。

「自分のペースが安定しないんです。後ろを走っていた力のある下級生から“三田さん、ちゃんとやってくださいよ”って声をかけられながら走っていました」

 体が重い、だるい、走りにキレがない。疲労により調子の波が落ちているのは間違いなかった。この時点で親しいチームメイトに三田は不安を打ち明けている。“三田なら大丈夫だよ”と返されても、心は晴れるはずもなく、ただ回復に努めるしかなかった。

 前日の1月1日。箱根前最後の調整は体に刺激を入れるための1000mだった。三田は渡辺監督に「自分は状態が良くないので、そのつもりで見てください」と告げて臨んだ。

1月1日の決断「自分が走るべきではない…」

「この1000mは2分58秒から3分くらいだったと記憶しています。レースペースくらいのタイムを“いい汗かいたな”という感じでさらっと走って翌日につなげるのが目的です。ただ実際はものすごく頑張って走ってこのタイムでした。このペースで20km走り続けないといけないのか。そう考えた時に“この状態で出たら区間順位が何位になるか分からない。優勝を目指すのであれば、自分が走るべきではない”と思ったんです」

 渡辺監督は「悪くなかったよ」と走り終わった三田に声をかけたが、それを遮り、自分の意思を告げた。監督、当時の相楽豊コーチ(現早大駅伝監督)がその場で話し合い、最終的に三田の考えを受け入れたという。

 箱根駅伝に向けたチーム作りは1年をかけて行われる。年間を通じ、試合や練習を積み重ねる中で指導陣は様々な角度から選手の適性を見極め、ライバル校の出方もうかがいながら、適材適所なオーダーが組まれる。直前の変更はその構想が一気に崩れることを意味する。三田はすでに更新されていたとはいえ、エントリーされていた4区で過去に区間記録を出したことがある選手。そのエース級が抜けるだけでなく、他の区間の配置も変えざるを得なくなった影響は計り知れない。三田もそれを理解していたうえでの決断だった。

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