箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「なぜ高校無名ランナーが箱根駅伝有力大学入りできた?」“全国3位になった高3ランナー”の青春は2度死んだ…いま、部活で起きている悲劇
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byYuki Suenaga
posted2022/03/03 11:02
長野県の上田西高校陸上部3年・花岡寿哉。5000mでは高校3年生世代で全国3位の記録を持つ
そこから朝食を取って9時には授業に行き、16時からは午後の練習が始まる。2時間~3時間の練習を終えて寮に戻れば、学生の本分である勉強と体のケアが待っていた。たまのオフには治療院に赴き、普段できないマッサージをしてもらったり、寮で仲間たちと陸上談義をして過ごした。
同級生たちが放課後や休日、ファーストフード片手に遊びにでかけるのを見て「うらやましい」と思わないではなかったが、それでも「自分の選んだ競技で、全国で勝負したい」という思いで、走り続けてきた。陸上競技以外の高校生活の思い出を聞いてみても、少し考えた後「あんま、ないっすね。修学旅行もコロナの影響で県内でしたし……」と苦笑いする。それほど、陸上競技一色の3年間だった。
だからこそ、唐突な高校最後の夏の終わりはなかなか受け入れることができなかった。
「今でもたまに夢に見るんですよね。あの時は調子も良かったし、もし走れていたらインターハイでも『決勝に残れただろうな』って」
ただその夢は、いつも決勝の号砲が始まる前に覚めてしまった。
コロナウイルスが理由である以上、決して高体連の措置が間違っていたわけではない。それでも、帯刀監督はこう言う。
「『この経験をバネにして、大学で頑張れ』というのは簡単なんです。でも、それはあくまで“大人の理屈”です。彼らにとっては『今』しかない。この先、たとえどんな大きな大会に出たとしても、埋めることのできない1ページを彼らの高校時代に作ってしまった。そのスッキリしない思いはずっと抱えています」
「都道府県対抗男子駅伝」という“別の目標”
とはいえ、いつまでも沈んでいるわけにもいかなかった。
高校生長距離ランナーの檜舞台といえば、インターハイと並んで12月にも全国高校駅伝がある。
ただ、花岡のいる長野県には高校駅伝界の“超名門”である佐久長聖高校がいた。
花岡個人の勝負ならいざ知らず、7人がたすきを繋ぐ高校駅伝で優勝し、県代表になるのは現実的に不可能に近い。「全国」という舞台に焦がれる花岡は別の目標を据える必要があった。
「だから、インターハイ予選以降は個人の目標を『5000mの13分台と、年明けの都道府県対抗駅伝への出場』にしようと決めました」
都道府県対抗男子駅伝は、各都道府県の中学生から社会人までがたすきを繋いで競い合う大会だ。高校駅伝とは違いメンバーは単一高校からの選出ではないため、駅伝強豪校以外の有力ランナーにとってはインターハイと並んで全国にその存在をアピールできる場でもある。かつては“山の神”柏原竜二や、リオ五輪日本代表の塩尻和也といった有力選手たちも、この大会を通して全国的に名前が知られるようになった。
ただ、長野県はこれまでで同大会の最多優勝を誇る強豪県でもある。それだけに選出のハードルはかなり高いものだった。
「ここまで全国大会のチャンスを与えられなかったので、花岡は実績の面ではどうしても他の選手に劣ってしまいます。アピールする場がなかった。だから、それでもなお選出してもらうためには、冬までに“群を抜いた”タイムが必要だったんです」(帯刀監督)
「次、頑張ろう」の「次」はもうないかもしれない
花岡を再起させた大きな要因は、先輩である昨年の3年生たちの背中だった。