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羽生結弦「痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプは跳べない…」平昌五輪での“伝説の復活劇”の裏に隠された“壮絶な経験”
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2022/02/09 06:00
2018年、伝説となった平昌五輪の羽生結弦の演技
氷上に立てない期間には“学術論文”を読みこなして…
「怪我の状態については、はっきり言って、詳細がよく分からない状態です。検査もちゃんとしたんですけど、靱帯が損傷してしまった部位、またその時にやってしまった方向があまりにも複雑すぎて簡単には分からないということがあります。いろいろな痛みが出てきてしまって、正直、どこがどこまで傷んでいるのか、そして何の治療が最適なのか、ちょっと分からない状態です」
痛み止めを飲むことで、痛みはおさまったかもしれない。だが、足首の内部の状態が良くなるわけではない。痛みをおさえたことで、ジャンプを跳んで降りることはできた。だが確実に、完治していない右足首に負担をかけることになり、怪我を悪化させる要因となる。
羽生は氷上に立てない間、学術論文にアクセスして、筋肉、解剖学、トレーニング理論などを集中して読みこなしたという。自身の怪我の状態を見極めながら、その中で練習を重ねて試合に挑むことの意味も、理解していたはずだ。
右足首の状態を知らされた際に、2月11日、ソウルの仁川空港に降り立った時の羽生の様子が思い起こされた。颯爽と到着口から現れると、にこやかな表情を浮かべる。3カ月ぶりに現れた羽生の姿を見て、集まった取材陣やファンの間では、ほっとしたような空気が流れた。
公式練習ではトリプルアクセルを以前のようにきれいに着氷した。4回転トウループやサルコウも決めてみせた。スケーティングもまた流れるようだった。
羽生の挑戦と“右足首の真実”
試合までの日々は、身体の切れのよさを感じさせ、表情にも落ち着きとゆとりがあった。不安材料は練習不足から来るスタミナくらいじゃないか、そんな声が取材陣の中で飛び交った。「驚くべき回復だ」と捉える向きもあった。
試合を終えて、その裏にあった右足首の真実を知った今、目にしていた光景の色合いは大きく異なってくる。
練習が終わればにこやかに挨拶し、時には笑顔を見せ、ユーモラスにおどけてみせることもあった。心身ともに好調であるかのように見せていたのは、実は仮の姿に過ぎなかったのだ。
周囲に不安を微塵も感じさせないように振舞っていたその心中は、いかばかりだったか。周囲に対してだけではなく、何よりも自分自身に「大丈夫だ」と信じ込ませる精神力に瞠目する。
当の本人は、穏やかにこう語る。