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羽生結弦「痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプは跳べない…」平昌五輪での“伝説の復活劇”の裏に隠された“壮絶な経験”
posted2022/02/09 06:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Asami Enomoto/JMPA
今季も全日本選手権で劇的な復活を遂げた絶対王者だが、前回の平昌五輪で見事な演技を成し遂げた際も、壮絶なケガとの闘いだった。
その軌跡を羽生本人が語った雑誌Numberの記事を、特別にWeb公開する。《初出『Sports Graphic Number』947号(2018年3月15日)、肩書などはすべて当時》
圧巻の7分20秒だった。
いや、圧巻という言葉では表しきれない。
ショートプログラムの2分50秒、フリーの4分30秒。1秒たりとも目をそらすことのできない濃密な時間を、羽生結弦は氷上に体現した。
2月16日、ショートプログラムはショパンの『バラード1番』。
祈りのような緊張が静寂となって会場を包み込む中、リンクの真ん中に立つ。
ピアノの音が鳴る。口元をかすかに動かし、首を回して、静かに滑り出す。
冒頭は4回転サルコウ。美しい着氷に、静寂を破る歓声と拍手が場内を揺るがす。
あらゆるエレメンツ(要素)が高い完成度を誇るばかりか、ショパンの独特の拍を見事なまでに捉えたその滑りに、観客すべてが引き込まれていく。
そこはもはやリンクではなかった。白鳥が優雅に泳ぐ湖のような、樹氷に囲まれた静謐な森のような――いつしか別世界へと誘われていくようだった。
完璧に滑り終えた羽生の得点は111.68。堂々、首位に立った。
高貴ささえ漂わせたフリーの『SEIMEI』
迎えた翌日のフリーは『SEIMEI』。リンクに降り立った瞬間、会場の背景色の紫との調和が、白の衣装を引き立たせ、高貴ささえ漂わせる。
冒頭はショートと同じく4回転サルコウ。6分間練習ではしりもちを突くなど苦しんだのが嘘のように、しっかり決めてみせる。
ショートとは異なり、予定していた4回転トウループからの3連続ジャンプは単発に、3回転ルッツは着氷でこらえる。だがそうしたミスによって、羽生の作り上げる世界観が揺らぐことは微塵もなかった。
和太鼓のリズムと竜笛の織り成す調べに呼応しながら、重心の上下する足さばき、鋭い目線。曲調が優しさを帯びれば、柔らかな手づかいと仕草を見せる。陰と陽、その対極を表現するかのようであり、どの角度から観てもその所作は美しく感じられる。