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羽生結弦「痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプは跳べない…」平昌五輪での“伝説の復活劇”の裏に隠された“壮絶な経験”
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2022/02/09 06:00
2018年、伝説となった平昌五輪の羽生結弦の演技
金メダルが確定した瞬間、零れ落ちた涙の理由
フリーの得点は206.17、総合得点は317.85。
グリーンルームで待つ羽生は、最終滑走者である宇野昌磨の得点と順位が出て金メダルが確定した瞬間、涙を浮かべた。やがて涙はこぼれ落ち、止まることはなかった。
「演技が終わった瞬間に勝てたと思いました。前回のソチオリンピックのときは、フリーが終わった後『勝てるかな?』という不安しかありませんでした。でも、今回は自分に勝てたと思いました」
ソチ五輪のフリーでは4回転サルコウに失敗。金メダルを手にしたものの、悔しさも募った。そのリベンジを平昌の舞台にかけていた。ミックスゾーンでもまだ鋭さの残る視線は、演技内容と結果を受けての高揚感からかもしれない。口に出す言葉もまた、いつになく力がこもっていた。
流した涙の理由は、過ごしてきた時間に思いを馳せたせいでもあった。
「4年間ということを考えると、本当に大変だったので、何よりも家族やチームやこれまで人間として育ててくれたコーチ、担任の先生……いろいろな思いがこみ上げてきました」
「痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプは跳べない」
昨年11月の右足首の負傷、長い治療とリハビリ生活を送らざるを得なかった日々、リンクに立てないもどかしさと不安――それらを払拭できた安堵の気持ちもあったのかもしれない。
そうした空白の期間を経て回復し、驚くほど短期間に自らの滑りを取り戻した。鮮やかな復活劇を見せたショートとフリー、2つのプログラムは、羽生の逆境における強さをあらためて感じさせるものだった。
だが、そんな理解は全くもって浅いものだった。そう思い知らされたのは、羽生の口を突いて出たこんな言葉を聞いたからだ。
「痛み止めを飲まない状態では、到底ジャンプを降りられる状態でもないし、跳べる状態でもない、というのは分かっています」
右足は完治していたわけではなかったのだ。羽生はさらに衝撃的な話を続けた。