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「5区で電波が繋がるか…」箱根駅伝の初代実況者が語る真実「技術者たちはテントで冷えた弁当暮らし。それでも文句を言わなかった」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byKYODO

posted2022/01/25 17:01

「5区で電波が繋がるか…」箱根駅伝の初代実況者が語る真実「技術者たちはテントで冷えた弁当暮らし。それでも文句を言わなかった」<Number Web> photograph by KYODO

箱根駅伝で史上初の生中継が行われた第63回大会の往路スタートの様子

「前々日からテント生活」「十何食と冷えた弁当を…」

 小川さんが初実況を務めた大会で印象深いのはどんなシーンだろう。

「1区で早稲田大の選手(池田克美)が腹痛に顔をゆがめて、一時は最下位まで順位を落としたんです。でも、あの腹痛というのは時間がたつと治まるものなんですね。気づけば遅れを取り戻して、彼は区間賞を取った。あれには驚きました」

 各校の実力は伯仲し、序盤から抜きつ抜かれつのレースが展開された。だが、初の生中継を実現させたとはいえ、この年は機材不足などの理由から全行程を中継することは叶わなかった。往路の3区と4区、復路の7区と8区は映像が途切れ、代わりのニュースを流すなどしている。電波を上手くつなげるだろうか、と最大の懸案だった山登りの5区は、往路の第2部として放送された。

 小川さんは5区の放送にも自信を持っていたと話す。

「山の上から映像を撮る技術者連中は、もう前々日辺りからテントで暮らしていたんです。トータル十何食と冷えた弁当暮らし。それでも文句を言わず、みな電波を拾うのに奔走した。実際に当日も、アンテナを持ったスタッフが七曲りの山路でも的確に電波の受信ポイントを捉えて、映像は途切れることがなかったです。みんなそれぞれ、すごいプロたちでした」

プロデューサーの思い「ただ走る姿を追うのではなく…」

 長時間の放送で視聴者を厭きさせない工夫も随所に見られた。驚くのは、今も名物コーナーとして続く箱根「今昔物語」がこの初回からスタートしていることだ。駅伝中継でありながら、ヒューマンドキュメンタリーでもある一面がすでにこの頃から見られていた。

「あれも坂田君(プロデューサーを務めた坂田信久氏)の思いからです。ただ走る姿を追うのではなくて、箱根の歴史だったり、これまで走ったランナーたちの功績も伝えていこうと。そこで紹介する人物を探す担当もいて、彼女(鎌田みわ子)が言うには、話を聞きに行くと必ずその人は泣くそうです。うれし涙、悔し涙、その人なりの思い出があるんでしょうね。いつももらい泣きしてしまう。そう彼女は話してました」

 歯を食いしばって襷をつなぐランナーの姿、駒ヶ岳や芦ノ湖の雄大な景色、そして箱根路を彩ってきたかつてのランナーの物語などで構成された番組は、復路に入っても熱戦が続いた。9区で順天堂大が逆転すると、そのまま最終10区のランナーがゴールテープを切り、順天堂大の大会2連覇で幕を下ろした。

【次ページ】 視聴率は“予想をはるかに上回る”往路18.4%、復路17.7%

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