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周囲の声「そんなマイナーな競技を担当して大丈夫か」 箱根駅伝の初代実況者・小川光明が明かす“第1回放送”までの知られざる舞台裏
posted2022/01/25 17:00
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
AFLO(左)
青山学院大の優勝で幕を下ろした今年の箱根駅伝。総合タイムは新記録となる10時間43分42秒で、2位の順天堂大に10分51秒もの大差をつける圧勝ぶりが話題となった。
テレビ視聴率は今年も高く、日本テレビ系列で1月2日、3日に中継された「第98回箱根駅伝」の往復平均視聴率は歴代17位タイとなる27.3%を記録した。歴代1位の32.3%だった昨年には及ばなかったものの、勝敗が早々に決するレース内容でこの数字は立派だろう。
見る者を夢中にさせる箱根駅伝の魅力は様々考えられるが、心のこもった実況もその一つではないだろうか。学生ランナーが走る姿をただ映すのではない。彼らがどのような思いで箱根路を駆けているのか、実況を聞いているとその心模様までもが透けて見えてくる。
エピソードや情景描写をふんだんに取り入れた、いわゆる“箱根実況”はどのようにして生まれたのだろう。
日本テレビが箱根駅伝を初めて生中継したのが1987年のこと。それまではテレビ東京が中継を担っていたが、1区から9区までは編集で、10区のゴール直前からランナーの姿を映し出すのが恒例だった。2日がかりの中継で、しかもコース上には箱根の急峻な山がある。電波をどのようにしてつなぐのか。何十台ものカメラをどうやって準備すればよいのか。あらゆる困難を乗り越えて、箱根駅伝の生中継は実現する――。
“巨人戦の名物アナ”がなぜ箱根初代実況者に?
1987年1月2日。初回の放送で、メインの実況を務めたのが元日本テレビアナウンサーの小川光明さんだ。
すでに定年退職し、現在は自宅のある宮崎県で悠々自適の生活を送っているが、箱根駅伝に対する思い入れは変わらず深い。放送がある2日は朝7時からテレビの前でスタンバイし、後輩たちの実況に耳を傾けているという。
「1号車に乗る蛯原(哲)君もそうだし、平川(健太郎)君、菅谷(大介)君、みな入社のころから知ってますからね。そりゃ気になりますよ」
そう言って笑う小川さんだが、そもそもどのような経緯で箱根駅伝の初代実況者となったのだろう。
小川さんと言えば巨人戦の実況が有名で、「小川アナが実況すれば巨人は負けない」という不敗神話(1997年から99年にかけて実況を担当した日の巨人の成績は16戦15勝1敗)を作ったこともある。野球の他、ゴルフ中継なども得意としていたが、陸上競技は専門外だった。