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《没後20年目》加藤大治郎とMotoGP…進化した現代の4ストロークマシンに不世出の天才が乗っていたら 

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遠藤智

遠藤智Satoshi Endo

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photograph bySatoshi Endo

posted2022/01/21 11:01

《没後20年目》加藤大治郎とMotoGP…進化した現代の4ストロークマシンに不世出の天才が乗っていたら<Number Web> photograph by Satoshi Endo

1976年7月4日生まれの加藤大治郎。バレンティーノ・ロッシに対抗しうる才能として将来を嘱望されながらWGPへのフル参戦は4年のみで、26歳で逝去した

 大ちゃんがシーズン11勝という史上最多優勝記録を樹立した2ストローク250ccマシン時代、そして、2ストローク500ccマシンで驚異的に速かったのは「ゴッドハンド」と呼ばれた右手の繊細なアクセルワークを武器としたからだ。2ストローク500ccマシンは、ケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンなど、身長のあるライダーが身体を駆使するライディングが求められた。大ちゃんのような小柄なライダーが2ストロークの過激なパワーで暴れる500ccマシンを乗りこなすのは容易なことではなかったが、右手の絶妙なアクセルワークと立ち上がりの速さで、テストしたサーキットのほとんどで、2001年のシーズン中のロッシやビアッジがマークしたベストタイムを塗り替えている。

 そして、ワークスチームが4ストロークエンジンのMotoGPマシンを投入した02年、「500ccのGPマシンでレースをしたかった」という大ちゃんは、シーズン前半9戦を2ストローク500cc のNSR500で戦いスペインGPで2位になった。後半戦は4ストロークマシンのRC211Vに乗り換え、そのデビュー戦となったチェコGPで2位。その後、パシフィックGPでPPを獲るなどトップライダーのひとりとして活躍したが、トラブルや転倒も多く、総合7位でシーズンを終えた。

時代に翻弄された天才

 あの02年シーズンは、2ストロークだろうが4ストロークだろうが、大ちゃんが生きていれば、将来、最高峰クラスのチャンピオンになると確信させるシーズンだった。

 大ちゃんが亡くなって20年が過ぎようとしている。彼のような才能を感じさせたライダーは数少ない。鈴鹿のWシケインではマシンの切り返しと重さに苦しみ、ウエットコンディションでは体重が軽いためにリアタイヤが満足にグリップせず苦戦した。もしも技術進化の恩恵を受けていれば、大ちゃんは遺憾なく才能を発揮しただろう。

 2022年シーズンに向けて、まもなく、各地で公式テストが始まる。小柄なライダーの活躍を見る度にきっと僕は、大ちゃんを思い出すに違いない。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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