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原田哲也は最初から速かった…WGP1年目の天才的テクニック、98年カピロッシに奪われた王座、01年加藤大治郎との激闘
posted2022/01/08 11:00
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph by
Satoshi Endo
いつどこで読んだのか忘れてしまったが、これまで数々のヒット曲を生み出してきた、いきものがかりの水野良樹さんが、曲作りの手法として、「サビの部分からつくる。それを歌い出しにもってくることも多い」と語っていて、なるほどなあと思ったことがある。
映画でいえばオープニングのシーン。読み物なら、最初の1行であり、スポーツライターで数々の名作を遺した山際淳司さんは書き出しの名手だった。それと同じように、記録を残し、記憶に残るライダーは、デビュー戦で我々のハートを掴む。オートバイレースの世界で言われる「速い選手は最初から速い」という言葉に嘘はないといつも思う。
いまから29年前の1993年に世界グランプリの250ccクラスにデビューした原田哲也も最初から速かった。この年の開幕戦オーストラリアGPで衝撃のデビュー優勝を飾り、その年の最終戦、スペイン・マドリード郊外のハラマで開催されたFIMGPで4勝目を挙げて逆転チャンピオンを決めた。
当時、取材で世界を転戦して4年目のシーズンを迎えていた僕は、原田哲也というライダーに魅了された。日本人が世界チャンピオンになる瞬間を見たい。しかし、そんな日が本当にくるのか確信の持てない時代だったし、世界を飛び回るには経費もかかる。取材とはいえ、レースを追うことをいつまで続けられるかわからない。そんな不安を抱き始めた僕の夢を、彼はあっという間に実現してくれた。
カピロッシの無謀なアタック
今回、原田哲也というライダーのことを書こうと思い、彼が現役だったころに書いた自分の原稿を読み返した。そのひとつが、ヤマハからイタリアのアプリリアに移籍して2年目のシーズンを迎えた1998年に『Number』に書いたインタビュー記事だった。この年のチームメートは、ロリス・カピロッシとバレンティーノ・ロッシ。アプリリアは3人の強豪ライダーを擁し、250ccクラスで圧倒的な強さを発揮した。その中でも原田の強さは群を抜いていたが、結局、チャンピオンにはなれなかった。
3人のワークスライダーを抱えたことでアプリリアはマシントラブルが多く、肝心なところで、そのトラブルが原田を襲うという不運が続いた。そのため、せっかく築いたリードはなくなり、チームメートのカピロッシとの最終戦決着となる。その舞台となったアルゼンチンGPでは、2位を走っていた原田がカピロッシに先行。あと二つコーナーを抜ければ2度目の世界チャンピオン獲得というところで、後ろにいたカピロッシにぶつけられて転倒し、チャンピオンを逃した。この最終ラップ最終セクションでの接触事故で、原田はリタイア。カピロッシは2位でフィニッシュしてタイトルを獲得した。