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《没後20年目》加藤大治郎とMotoGP…進化した現代の4ストロークマシンに不世出の天才が乗っていたら
posted2022/01/21 11:01
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph by
Satoshi Endo
グランプリの最高峰クラスが、2ストローク500ccクラスから4ストローク990cc(現在は1000cc)のMotoGPクラスに変わって21年目を迎える。両カテゴリーのバイクが混走した02年を除き、4ストロークエンジンになってから今年でちょうど20年目。そして、大ちゃんの愛称で呼ばれた天才ライダー加藤大治郎が亡くなって20年目を迎える。
大ちゃんは、4ストロークエンジンだけのMotoGPクラス時代になった03年の開幕戦日本GPの決勝レースの事故で亡くなった。事故が起きたのはスタートから3周目。バックストレートを抜け、左高速コーナーの130Rの立ち上がりでバランスを崩し、続く最終コーナーシケイン手前でスポンジバリアに激突した。この事故で大ちゃんは三重県四日市市の三重県立総合医療センターにヘリコプターで搬送されたが、事故から2週間後の4月20日に帰らぬ人になった。
いまでも思う。「大ちゃんが生きていたらどんな活躍をしてくれたのだろう? 大ちゃんが生きていたら最高峰クラスでチャンピオンになったんだろうなあ」と。
大治郎が苦しんだ鈴鹿のWシケイン
03年の開幕戦日本GPは、2ストロークエンジンからの過渡期を経て、4ストローク990ccのエンジンを搭載するマシンでグリッドが埋まった。この年、鈴鹿サーキットの右最終コーナーの安全性を高めるため、その手前にある右そして左と切り返すシケインを、右→左→右→左とシケインが2度連続するWシケインに変更したのだが、162センチと小柄だった大ちゃんは「あそこですごく遅れる。あのシケインがなければ」とMotoGPマシンの4回の切り返しに苦しんだ。
鈴鹿サーキットで事前に行われたテスト、そして開幕してからのフリー走行で大ちゃんは、130Rの立ち上がりまで最速タイムをマークしていたが、このWシケインだけでトップグループのライダーたちに比べ、約0.5秒タイムをロスした。その区間だけでそれまでのアドバンテージは消滅し、タイムとポジションを落とした。
この大会のフリー走行1回目は、このセッションでトップタイムを争ったロリス・カピロッシ(ドゥカティ)とバレンティーノ・ロッシ(ホンダ)が2分04秒台中盤。その二人から約0.2秒遅れて大ちゃんが3番手。もし、Wシケインがなければ、大ちゃんはトップタイムを叩き出していたはずだった。