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《カンニング竹山氏も発信》震災を生きた“被災馬”の知られざるその後とは? 津波被害の乗馬クラブ「生き残ったのは41頭中わずか2頭」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2022/01/20 11:00

《カンニング竹山氏も発信》震災を生きた“被災馬”の知られざるその後とは? 津波被害の乗馬クラブ「生き残ったのは41頭中わずか2頭」<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

現役時代には皐月賞(GI)を勝ったノーリーズンは、被災時、南相馬市の「松浦ライディングセンター」にいた(2011年撮影)

“海岸からわずか200m”…41頭中39頭が津波の犠牲に

 少々時間は前後するが、同年7月下旬の相馬野馬追取材では、総大将の相馬行胤(みちたね)さんが、南相馬市小高区で被災したのち、相馬市の相馬中村神社にあった厩舎に避難していたマイネルアムンゼンに騎乗していた。その厩舎には、ほかに、マキバスナイパー、エイシンクリバーン、タイキレーザー、アシヤビートといった被災馬もいた。

 相双地方ではないが、宮城県名取市の乗馬クラブ「ベルシーサイドファーム」は、発災時、海岸からわずか200mほどのところにあり、繋養していた41頭すべてが津波に流された。代表の鈴木嘉憲さんが救い出すことができたのは2頭だけで、それから2カ月かけて、亡くなったすべての馬を見つけ出した。生き残ったうちの1頭であるアドマイヤチャンプは、前出の養老牧場「ホーストラスト北海道」に移動した。代表の酒井政明さんによると、今も元気にしているという。

 鈴木さんは、現在、宮城県亘理町の海から7kmほど離れたところに乗馬クラブ「ベルステーブル」を経営している。そのほか、昨年6月に南相馬市馬事公苑で行われた「東北ホースショー2021<震災復興10年サンクスホースショー>」の主催者の一員となり、引退競走馬のための「セカンドドリームカップ」を馬主の大野裕さんとともに企画・運営するなどしている。そこに、ノーリーズンなどを繋養していた「松浦ライディングセンター」の馬も出場するなど、被災馬をめぐる人々はどこかでつながっており、震災から10年以上の時を経た今も、馬とともに、前を向いて活動をつづけている。

引退競走馬の“幸福な余生”のために

 被災馬に関する活動に引退馬協会が深く関わり、代表の沼田恭子さんが、私を含め、被災馬に関わった人間たちにとって知らぬ者のない存在になっているのは、被災馬のほとんどが元競走馬だからなのである。

 震災から11年が経とうとしている今、被災馬も11歳馬齢を重ねたわけで、その多くが世を去っている。

 被災馬への興味を入口として、引退競走馬の第2、第3の馬生に関心を持つ人が増えることが、巡りめぐって、その馬たちの幸福な余生につながっていくはずだ。

 JRAは、かねてより、引退した重賞勝ち馬などに対する助成を行っている。さらに全国乗馬倶楽部振興協会が引退競走馬向けの馬術競技大会「引退競走馬杯」(Retired Racehorse Cup=RRC)を開催するなど、助成の規模をひろげている。

 角居勝彦元調教師も競走馬のセカンドライフ支援に積極的に関わっている。

 昨年、本稿で相馬野馬追をリポートしたときに記したように、日本には馬を食する文化もあり、そうした市場が元競走馬の行き先になっているという現実もある。それをやみくもに否定したり、目を逸らしたりするのではなく、馬の生涯をトータルで見ていく時代になりつつあるのかもしれない。今が過渡期であることは間違いなさそうだ。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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