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《カンニング竹山氏も発信》震災を生きた“被災馬”の知られざるその後とは? 津波被害の乗馬クラブ「生き残ったのは41頭中わずか2頭」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2022/01/20 11:00

《カンニング竹山氏も発信》震災を生きた“被災馬”の知られざるその後とは? 津波被害の乗馬クラブ「生き残ったのは41頭中わずか2頭」<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

現役時代には皐月賞(GI)を勝ったノーリーズンは、被災時、南相馬市の「松浦ライディングセンター」にいた(2011年撮影)

 悪いことに原発事故が重なり、福島第一原子力発電所から半径20km以内は警戒区域に指定され、人が住めなくなり、立ち入りが厳しく制限された。相馬野馬追の騎馬会のひとつである小高郷の騎馬武者たちが住まう南相馬市小高区、浪江町なども含まれる。

被ばくの恐れから「食用として出回らぬよう」捺された焼印

 警戒区域内の家畜は内部被ばくしている恐れがあるため移動が禁じられていたのだが、伝統行事の相馬野馬追継続のためという理由で、特例措置として、二十数頭の馬が同年5月上旬、警戒区域外の南相馬市馬事公苑へ移動した。その馬たちは食用として出回らぬよう、警戒区域にいたことを示す焼印を捺された。

 また、原発から30km圏内は緊急時避難準備区域とされ、子供や要介護者などは立ち入らないよう求められた。前述した南相馬市馬事公苑や、南相馬市の中心部で、相馬野馬追の5つの騎馬会で最大の中ノ郷の騎馬武者たちが拠点を置く南相馬市原町区なども含まれていた。

 放射能に関する風評被害もあって、その地域にいる馬は水や飼料を確保することにも、ちょっとした運動 (馬はある程度体を動かさないと疝痛を起こしやすくなる)をすることにも、苦労するようになった。

北海道に引き取られた被災馬たちも

 2011年の5月、私は初めて南相馬を訪ねるにあたり、南相馬市馬事公苑に取材申請をしたのだが、「馬主さん個人が所有する馬なので、市の一存だけで許可するわけにはいきません」と断られてしまった。そこで、個人が原町区で経営する「松浦ライディングセンター」を訪ね、ノーリーズン、キネティクス、サブジェクト、ブレーブテンダーなどの元競走馬に会うことができた。震災直後、北海道に、ウルヴズグレン(共和町・ホーストラスト北海道)、テンジンマツリ(新冠町・タニグチ牧場)、スマートリーズン(日高町・白井牧場)などの被災馬が移動しており、それらも取材した。カッコ内が移動先だ。

 これらは、個人の厚意により引き取られた馬たちであるが、北海道の自治体が被災馬救済を実施した例もある。同年8月、9頭の元競走馬が、「同じ馬文化を持つ地として」(三輪茂町長=当時)早くから受け入れを表明していた北海道日高町へと移動したのだ。

 メジロマイヤー、グラスワールド、ドンヤマト、メイショウアーム、ジュワユース、ニイルセン、トガミハリヤー、トミケンマイルズ、オースミスキャンである。3500万円ほどの受け入れ予算の3分の1ほどは、ニイルセンを現役時代に所有していたダーレー・ジャパンからの支援金だった。

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