Jをめぐる冒険BACK NUMBER
W杯予選・豪州戦ゴールは「適当ですね」「狙いどおり、と言いなさい(笑)」 田中碧と中村憲剛が“師弟対談”でとことん語ったこと
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph bySports Graphic Number
posted2022/01/12 11:02
東京とドイツを結んで行われた特別トークイベント。田中碧、中村憲剛ともに今のサッカーについてとことん語ってくれた
田中は21年6月末にデュッセルドルフへの移籍を決めたが、それまでの半年間で「見違えたような感覚があった」と先輩は言う。
「シーズンが始まるときから覚悟や想いがあったの?」という問いに、後輩はきっぱりと答えた。
「20年の最後のほうから自分の感覚が上がったというか。見える景色が変わって、それを21年も継続してやれたのが良かったかなって。もうひとつは、覚悟を決めた部分もあって。この半年で成長して海外に行くぞと決めたので、プレッシャーや責任も感じて、それが成長に繋がったと思います」
成長の加速として大きかった“ある試合”とは
成長が加速するという点で田中にとって大きかったのが、21年3月のU-24アルゼンチン戦だったという。
「(川崎では当時インサイドハーフだったが)久しぶりのボランチで、強い相手に対して自分が何をやれるか測れる機会だったんですけど、すごく成長している感覚を得られた。サッカーへの理解が深まったかなって感じられました」
小学生時代から川崎のアカデミーに所属してきた生え抜き中の生え抜きである田中にとって、中村氏はその頃からの憧れのレジェンドである。
一緒にプレーしたのは17年からの4シーズン。3度のリーグ優勝を果たし、濃厚な時間をともに過ごすなかで中村氏から学んだもの――。
それは、立ち位置にほかならない。
「自分の中でサッカーが変わった。こんなに楽にプレーできるんだって感じましたし、自分でも考えることが多くなって、より成長できたと思います」
その言葉を受けて中村氏も振り返る。
「碧は(大島)僚太や守田(英正)とボランチをやっていたけど、最初の頃は動きすぎちゃうんですよ。真ん中で止まって、待って受けるのが怖いわけです。だから、最初に掛けた言葉は『動くな』だったという記憶があります。『止まっていれば、パスコースは自然と空くから』と。そこでうまくプレーできる回数が増えたことで、そのうち自分で考え出して、どんどん良いプレーが増えていったので、最終的には何も言う必要がなくなった」
「自分の人生は、あとから追い越していく人生」
このイベント中にも何度か聞かれたのが「成長速度が早い」という中村氏の言葉だった。
「プロに入ってきた最初のキャンプのとき、『大丈夫かな?』と思ったことを覚えているけど、その後、わずかな期間で成長して駆け抜けていった」
一方、田中は自身の歩みについて、こう表現した。
「自分の人生は、あとから追い越していく人生」
だからこそ、期待しないわけにはいかない。新チームにフィットするのに多少の時間を要したものの、ようやくスタートラインに立った田中のここからの活躍を。
1月27日には中国、2月1日にはサウジアラビアとのアジア最終予選が控えている。田中に望みたいのは、救世主となったオーストラリア戦の再現ではない。シンデレラボーイとしてではなく、“日本代表は田中碧のチームになった”と評されるような活躍だ。
解説者席にいる先輩も、多くのファン・サポーターも、そう願っているに違いない。