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「国見は理不尽な練習のイメージですが」平山相太や大久保嘉人、実は中田英寿や戸田和幸17歳も指導…“小嶺忠敏先生”の大功績
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/01/09 11:03
先生でありサッカー指導者であった小嶺忠敏。日本サッカーに与えた影響は計り知れない
鈴木はもともと、セレッソ大阪U-18に所属し、世代別代表にも選出されていた。そんな有望株が2018年3月、長崎総科大付に転籍したのだ。この決断について、鈴木は「僕の土台すべてを作ってくれたのがセレッソだと思っています」と育成してくれたクラブに感謝しつつも、小嶺監督の元で自らを鍛えてみたいとの意思を貫くことにしたのだ。
3年生時での加入ということで、鈴木が選手権に出られたのは2試合だけ。3回戦の帝京長岡戦に敗れてその挑戦は終わった。
しかしこの試合でゴールを奪った鈴木はロッカールームに戻り、小嶺監督の顔を見た瞬間「涙があふれ出てきた」という。1年間という限られた期間であっても、鈴木の得たものは非常に大きかったはずである。
国見=理不尽な練習、のイメージだけど
<名言3>
国見といえば理不尽な練習をやらされるイメージを抱かれがちですけど、僕らの感覚では自主的に率先して取り組んでいたつもりです。
(三浦淳宏/NumberWeb 2016年12月29日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/827177
◇解説◇
走る、走る、走りまくる。とにかく走る。
選手権を見た人で、国見や長崎総科大付に持つイメージはこのようなものだろう。圧倒的な走力をベースに、相手を圧倒していく。考えてみれば現代のインテンシティ重視の世界的トレンドを、小嶺監督は数十年前からやっていたとも言えるのだが……その練習法が強烈だった。
三浦が所属した当時の国見は、夏合宿で1試合3試合は当たり前。ハーフタイムや試合直後にも走り、練習では学校裏にある片道5kmの通称「タヌキ山」をただただ走っていたという。なんとも“部活”っぽい香りがするエピソードである一方で、三浦は「自主的」という表現を使って、このようにも話していた。
「なにせ、チームメイトは全国から集まった優秀な選手ばかりです。少しでも気を抜けば、大会のメンバーに入れない。だから、昼休みになれば誰もが自主的に筋トレをしていましたし、僕もシャワールームで腕立て伏せを300~500回やるのが日課でした」
朝練習の前の自主練習でシザースフェイントを磨いたりしたこともあったという。それだけ一心不乱にサッカーに打ち込んだ選手たちの積み重ねが、計6回の選手権優勝という結果につながった。
<名言4>
プロになってカード(警告)をもらうシーンはありましたが、嘉人は本当に素直な選手。
(小嶺忠敏/NumberWeb 2021年12月5日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/850989
◇解説◇
2021シーズン限りでの引退を決断した大久保嘉人も、小嶺監督の元で育った。2000年度の選手権ではアグレッシブな走力と技術を兼備し、国見にとって4度目の選手権制覇に大きく貢献した。そのプレースタイルと言動から「やんちゃ」なイメージがある大久保について、小嶺監督はこう話したことがあるという。
「素直なぶん、環境に左右されやすいというか……。だからプロに送り出すときは、誰かに騙されやしないかとひどく心配したものです」
なお高校サッカーでの偉大な実績に埋もれているが、小嶺監督は日本サッカー史にも大きな功績を残している。