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「国見は理不尽な練習のイメージですが」平山相太や大久保嘉人、実は中田英寿や戸田和幸17歳も指導…“小嶺忠敏先生”の大功績
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2022/01/09 11:03
先生でありサッカー指導者であった小嶺忠敏。日本サッカーに与えた影響は計り知れない
中田、宮本、戸田らの監督を務めた大会とは
それは1993年、Jリーグ開幕に沸く日本で開催されたFIFA U-17世界選手権(現U-17W杯)だ。91年10月から小嶺監督は国見高校を率いながら同代表監督に就任。そしてコーチには読売クラブなどクラブユースで育成指導に当たった小見幸隆が就任し、高体連とクラブが連係して強化を進める、現在の日本サッカーの原型ができた大会だった。
U-16アジアユースなどでは大敗を喫して苦しんだものの、本大会グループステージではガーナ、メキシコ、イタリアと厳しい組み合わせになったものの、第2戦のイタリアに引き分け、メキシコとの第3戦で2-1の勝利を飾り、準々決勝に進出したのだった。
当時のメンバーを見てみると……松田直樹、宮本恒靖、戸田和幸、中田英寿と未来の日本代表が名を連ね、財前宣之や吉田孝行、船越優蔵と多士済々だったのがよくわかる。そういった個の力を結集して、世界への扉を開いた。
また小嶺監督は2005年、現J2のVファーレン長崎の誕生に関わり、初代社長も務めている。田嶋幸三・日本サッカー協会会長が「小嶺先生はサッカーに人生の全てを捧げた方でした」との追悼コメントを残したが、長崎から日本サッカーに与えた影響は計り知れない。