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野球クロスロードBACK NUMBER
《沢村賞右腕》元ソフトバンク攝津正(39)が今明かす“悩んだ27歳のプロ入り”と“苦節のラスト3年”「うまくいき過ぎたんじゃないかな」
posted2022/01/04 11:04
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
川島慶三、藤田一也に見た“プロの生き様”
自分のことのように感情移入はしていないが、他人事として受け流すこともできない。
「決まったんですよね。よかった」
現役を引退してまだ2年の攝津正は、短い言葉に親しみを込める。
戦力外通告を受け、現役生活の岐路に立たされてもなお、プレーヤーとしてこだわる泥臭さ。攝津は彼らにプロの生き様を見ていた。
ソフトバンクでチームメートだった38歳の川島慶三が楽天へ。その楽天からは、同い年である39歳の藤田一也がDeNAへと移籍した。ベテランと呼ばれるふたりが、新たなチームと選手契約を果たしたことに、攝津は己を重ね合わせていた。
「気持ちを保てるのがすごいと思いますよね。『まだまだできる』って意欲が強いというか。自分はそこまではできなかったですからね」
“オールドルーキー”攝津正のプロ入りまで
攝津もベテランと呼ばれ始めていた36歳の2018年に戦力外通告を受け、引退した。
プロ野球選手というのは、誰もが羨むほどの実績を残した選手であっても悔いは残るものだという。「後悔などあろうはずがない」と言い切ったイチローのような存在は稀ではあるが、攝津も「悔いはなかった」と話す。
「引退して悲しいとか、そういうのはなかったです。意外とさっぱりとした気持ちでした」
10年。プロ野球の平均選手寿命に近いキャリアながら後悔なく引退できたのは、日本野球の最高峰の舞台に挑戦し、全うできたこと。自らの現役生活が骨太だったからだ。
そもそも、攝津にとってプロとは、どうしても行きたい場所ではなかった。正確には「そうなっていった」というのだ。
秋田経法大付(現ノースアジア大明桜)からJR東日本東北へ進み、4年目の04年から「ドラフト候補」として注目を集めた。ちょうどその時期に手にした武器が、プロ入り後も攝津の代名詞となったテイクバックの小さいピッチングフォームとシンカーである。
ふたつの武器を磨き、チームの絶対的エースとなった。ところが、毎年ドラフト候補に挙げられながら、ようやく指名されたのは08年。ソフトバンクからドラフト5位で指名を受けた時、悲願成就の喜びはあったが、同時に相反する感情も去来していたという。
「迷いは、ありましたよ」
攝津が心のせめぎ合いを明かす。