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野球クロスロードBACK NUMBER
《沢村賞右腕》元ソフトバンク攝津正(39)が今明かす“悩んだ27歳のプロ入り”と“苦節のラスト3年”「うまくいき過ぎたんじゃないかな」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/01/04 11:04
09年に最優秀中継ぎ賞、12年には沢村賞を獲得したホークスの元エース右腕・攝津正
「やっぱりJRって大企業ですし、普通に働いていたら定年まで会社にいられるわけじゃないですか。ちょうど、『都市対抗野球で上位に食い込めるような成績を残せるように』って考え方が変わってきた時期でもあって。年齢も26歳でしたし、30くらいまで投げて社業に専念しようみたいに思い始めていて。でも、せっかくプロに行けるチャンスをいただけたなら『挑戦したい』というか。目指していた世界を知らないまま、野球を終わりたくなかったって感覚もありましたから」
最優秀中継ぎ&沢村賞を手にした唯一の選手
27歳になる年にプロ入りしたオールドルーキー。与えられた役割が先発ではなく中継ぎだったとしても、摂津は社会人での「苦節8年」の研鑽をマウンドで表現する。
テイクバックの小さなフォームから放たれたストレートが、内角と外角に決まる。バッターの手元で鋭く沈むシンカーでゴロを量産した。巧みな投球術を駆使しながらも、マウンドに上がれば「ゲームが出来上がっているなか投げるから、自分の力を一気に出さないといけない」と、状況に応じてヒットや四球を恐れずボールを投げこむ豪胆さも披露した。
一時はプロ入りを迷った男の1年目の挑戦は、70試合に登板し5勝2敗、39HP、防御率1.47で新人王に輝いた。2年目も71試合に投げ4勝3敗、防御率2.30、42HP。2年連続で最優秀中継ぎのタイトルを獲得した攝津は、3年目から先発に転向した。
中継ぎを経験したことで、先発ではよりゲームをプランニングすることができた。「7回3失点」のようなトータルの結果より、なぜ抑えられたのか、打たれたのかを分析することで、「バッターとの駆け引き、状況整理を冷静にできた」と攝津は振り返る。
変遷が成果を物語る。