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野球クロスロードBACK NUMBER
《沢村賞右腕》元ソフトバンク攝津正(39)が今明かす“悩んだ27歳のプロ入り”と“苦節のラスト3年”「うまくいき過ぎたんじゃないかな」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/01/04 11:04
09年に最優秀中継ぎ賞、12年には沢村賞を獲得したホークスの元エース右腕・攝津正
15年にメジャーリーグから満を持して凱旋した日本球界のレジェンドは、右肩の故障によって実戦マウンドから遠ざかっていた。それでも弱音ひとつ吐かず地道にトレーニングをこなす松坂に、攝津は感化された。
例えばキャッチボール。
松坂はマウンドで二塁ランナーを視認するように、1度後ろを向いてから投げる。その理由を尋ねると「普通に投げると体が前に突っ込んじゃって、ちゃんとした形で投げられないから」と説明を受けた。攝津はそんな松坂に一流の源流を見た。
「絶対に肩が痛いはずなのに何も言わないで、単純な作業にも意識を傾けているというか。自分のなかでのルーティンがあるんでしょうけど、チェックポイントを確認しながら細かいところを常に修正しているところが、やっぱり一流なんだなと。少し前だと(斉藤)和巳さんもそうですけど、プロで実績を残して長くやれる選手って、自分がやるべきことをわかっていて、そこに対して黙々と取り組めるんですよね。そういうところを『自分もしないといけない』って学ばせてもらいましたし、励まされたところではありましたね」
厳しい立場に置かれている松坂は、人目を憚ることなく自分をさらけ出した。攝津にしても、アプローチこそ違えど「今の自分」を出し続けた。たとえ居場所が一軍でなくとも、投げられる以上は投げる。二軍でも先発ローテーションを守ったのは、最優秀中継ぎと沢村賞にも輝いた男の矜持でもあった。
妻に言った。「もう、辞めるわ」
その攝津に「引退」の二文字が具体的によぎったのが、18年の6月だったという。二軍に落とされた際に球団から「進退」と告げられた時点で、「もしかしたら一軍で投げることはないのかもな」と察知したという。
「もう、辞めるわ」
妻に意思を伝えると、「可能性があるなら他の球団も探したら?」と言われた。自分を支えてくれた知人に自分の考えを話しても、「どんな形であれ、球団に残れるなら残ったほうがいい」と助言された。