“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
選手権に衝撃を与えた「武南パープル」にあの名門校が影響していた? ユニフォームの色にこだわった名将が伝える“遊び心”
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2021/12/27 11:08
惜しくも県予選で敗れ、100回大会への出場を逃した武南高校。1年生の10番MF松原史季は、伝統のユニフォームを着て国立のピッチに立つことを誓った
19年3月、大山は監督の座を退いた。長い期間、強豪校としてのレベルを維持してきたものの、近年では2006年度大会以来、選手権の舞台に立てていない。長年コーチとして共に歩んできた教え子の内野慎一郎監督にバトンを託したのだ。
「もうこれからはお前の代だ。だからユニフォームを変えてもいいよ」
俺も自由にやりたいことをやってきた、だからお前も――大山の思いを託された内野だったが、しかしそれを一切変えることはしなかった。
「あのユニフォームがきっかけで武南に憧れたし、僕の中ではあのユニフォームを着ている姿が武南そのものだった。これを着るために僕はここに入りましたから。だからこそ、今も雑に扱って欲しくないし、あれを変えてしまったら武南ではなくなる。あのユニフォームは武南に入ったから着られるのではなく、そこで努力を重ねたから着られるものだと思っています。そこに価値を感じてもらえるために、僕らはサッカーの質、発想の自由をもっと高めてやって行きたいと思います」
1年生MF松原史季「新時代を示したい」
伝統のユニフォームを纏って、記念すべき100回大会で復活を遂げる。そんなドラマも描いたが、武南は予選準決勝で、11年ぶりに選手権切符を勝ち取った西武台高を前に敗退した。
「100回云々ではなく、毎年が勝負だと思っている。15年間遠ざかっている選手権に出るために努力するのは毎年変わりません。まずは目の前の相手を1つずつ倒すためにチームを良くしていく努力を重ねることができるか。僕は『武南が弱くなった』という言葉だけは言われたくない。これからも進化を続けたいし、期待感を持たせるチームにしていきたい。だからこそ、過去を大切にしながら、前に進む我々をもっと表現していきたいと思います。それが101回大会にもつながっていくと思います」(内野)
その思いは、歴史を肌で感じていないはずの選手にも伝播する。1年生ながら「10番」を託され、多彩なパスワークの中枢を担うU-16日本代表候補のMF松原史季は強い思いで武南にやってきた。浦和ジュニアユースからユースへの昇格を逃したテクニシャンが真っ先に思い浮かべたのは、父の影響でその存在を知っていた武南カラーだった。
「昔は強かったけど、今は全国から遠ざかっていると知って、僕が強くしたいと思った。武南が選手権に帰ってくれば、上の年代の方々も『強い武南が戻ってきた』と喜んでくれると思う。あと2年、必ず僕がこの『武南カラー』のユニフォームを着て国立で躍動する姿を見せて、新時代を示したいと思っています」
未来へと引き継がれた「武南カラー」と「伝統」。大山はおよそ半世紀もの時間を経過した今、当時を思い出しながらしみじみとこう振り返った。
「原色のままのユニフォームだと、何か固定観念にハマっているような気がするんです。それを淡くすることによって、いろんなプレーに幅というか、開放感というか躍動感が生まれるような気がした。私にとっても、武南にとっても多彩なサッカーを表現するために必要不可欠なものなのです。
今、この色が認知されたからこそ、これからは新しい世代の人たちにいろんな想いを持って取り組んでもらえたら嬉しいですね。今までの伝統を気にせず、プレーに全力投球すればいい。内野監督を中心にクリエイティブにやってほしいです」
武南が継承してきた「色」は「多様性」の象徴でもあった。「武南パープル」とともに、大山の思いは今もなおチームの魂として宿り続けている。内野監督や選手たちの熱意があり続ける限り、それは消えることはない。
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