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残り310m、絶体絶命の有馬記念で見せた執念…テイエムオペラオーの「年間グランドスラム」は“日本競馬史に残る偉業”だった
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by©Keiji Ishikawa
posted2021/12/25 17:04
2000年の有馬記念を制し、年間8戦8勝で古馬中長距離GⅠ完全制覇という偉業を成し遂げたテイエムオペラオー。その絶対的な強さから「覇王」と称された
オペラオーは、翌01年、天皇賞・春を勝ってシンボリルドルフに並ぶJRA・GI最多の7勝目を挙げるも、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップは2着、有馬記念は5着に敗れ、現役を退いた。
1000万円で購入された馬が3年数カ月の競走生活で、当時の世界最高額となる18億3518万9000円もの賞金を稼ぎ出したのだから、夢がある。
この馬が皐月賞でGI初制覇を遂げたとき、主戦の和田はデビュー4年目の21歳。レース後、スタンド前で行われた勝利騎手インタビューを「1、2、3、ダー!」とアントニオ猪木ばりに叫んで締めくくるシーンもおなじみになっていた。
なぜオペラオーは「史上最強」と言われないのか
これほどの実績を残したオペラオーであったが、「史上最強」と言われることはほとんどなく、不当に思われるほど評価が低いのはなぜか。
ひとつは、1歳上のスペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー、2歳下のアグネスタキオン、クロフネ、ジャングルポケット、マンハッタンカフェら「最強世代」には及ばない「狭間の世代」と見られたからか。
また、大きく後ろを離して勝つことが少なく、GI7勝のうち5レースで2着がメイショウドトウと、同じ相手ばかりを負かしていたという印象が強くなったこともマイナスだった。
オペラオーが00年に制した5つのGIで、4、4、7、8、7着だったステイゴールドが、翌01年、ドバイシーマクラシックと香港ヴァーズを制し、種牡馬としてもオルフェーヴルやゴールドシップを出すなど成功したのだから、競馬は難しい。
思えば、オペラオーの現役時代は、瞬発力が武器のサンデーサイレンス産駒の全盛期だった。その時代に、重厚な欧州血統でありながら、これだけの成績をおさめたことはもっと讃えられてもいい。しかし、種牡馬としての人気も今ひとつで、ついにJRAの平地重賞を勝つ産駒は現れなかった。
18年5月17日、オペラオーは、種付シーズンのさなかに世を去った。22歳だった。
いつかきっと、母系にこの馬の名がある活躍馬が現れる――と信じたい。そのときには、また、20世紀最後の偉大な「覇王」テイエムオペラオーの蹄跡に、眩い光が当てられるだろう。