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藤枝東が「サッカーの街」の象徴になった理由…不織布マスクも看板もぜんぶ藤色、体育の授業では全員スパイク着用 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2021/12/27 11:07

藤枝東が「サッカーの街」の象徴になった理由…不織布マスクも看板もぜんぶ藤色、体育の授業では全員スパイク着用<Number Web> photograph by Takahito Ando

静岡県予選で静岡学園に敗れ、選手権出場を逃した藤枝東

 2015年から藤枝東サッカー部を託された小林監督は、藤枝市に隣接する島田市の出身。同じ中西部地区で、小さい頃から藤色のユニフォームには憧れを抱いていた。

 小林が幼い頃はGK川口能活がいた清水商業、MF石井俊也がいた静岡学園が全国にその名を轟かせており、藤枝東は後塵を拝していた。それでも「この地区に住んでいたら、親や近所の人たち、友達との話題は必ず藤枝東高校サッカー部の話」と、潜在的に藤色がすり込まれる環境だった。

 漠然と抱いた憧れが目標に変わったのは、中学1年の頃に見た先輩たちの姿だ。97年度大会に出場した石川竜也や佐賀一平、河村優らを擁した世代は選手権ベスト4に進出。準決勝で帝京高に敗れたものの、その試合をテレビで観た小林少年は決意を固めた。

「県下有数の進学校で文武両道。エリート集団のように映っていましたし、やっぱり藤色のインパクトが凄かった。藤色は高貴な色であり、地元の誇りでした」

 藤枝東に進学すると、大きな驚きがあった。

「入学する前から街で『来年から頼むぞ!』『頑張れよ』と声をかけられるんです。顔見知りでもなんでもない。高1の終わりに年代別日本代表に呼ばれたのですが、そこからさらに声のかけられ方が変わりましたね(笑)」

 声をかけられる、で終わらず、プレーに関するアドバイスをもらったことも。

「いきなり『小林くん』と名前で呼ばれて、『せっかく左利きなんだから、もっと左足の前にボールを置いたほうがいいよ』と言われるんです。しかもそれが1人や2人ではなくて。試合に負けた日には、藤枝駅の駐輪場を管理していたおじさんが近づいてきて『切り替えろよ』とポンと肩を叩いて颯爽と去っていったこともありました。この地域の人たちはサッカーが大好きですし、僕らのことをちゃんと見てくれているんだなと感じましたね」

教室中にサポーターがいる

 サッカー部を支えるのはもちろん、地域の人々だけではない。学校内でもサッカー部への期待はひしひしと痛感していた。

「極端な話をすると、サポーターと選手が同じ教室で学んでいるという感じ。試合に負けた翌日は“サポーター”に慰められながら授業が始まる。やっちゃいけないミスをした次の日は、教室全体が“触れちゃいけない”雰囲気になる(笑)。みんな気を使ってくれているのが丸わかりでした」

 小林監督が楽しそうに語る当時のエピソードから、いかにサッカー中心の学校生活だったかは容易に受け取れた。

【次ページ】 スタッフほとんどが藤枝東のOB

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