“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
藤枝東が「サッカーの街」の象徴になった理由…不織布マスクも看板もぜんぶ藤色、体育の授業では全員スパイク着用
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2021/12/27 11:07
静岡県予選で静岡学園に敗れ、選手権出場を逃した藤枝東
決勝戦の相手は今年度のインターハイベスト4で、Jリーグ内定者4人を擁する静岡学園。会場のエコパスタジアムには全校生徒と多くの藤枝市民が詰めかけた。
「コロナ禍の影響で僕が入学してから有観客試合がほとんどなかった。予選の準決勝、決勝で初めて大勢の方々がいるスタジアムでサッカーができた。藤枝がサッカーの街であることは知っていましたし、街で声をかけてもらうこともありましたが、いざ藤色に染まったスタンドを見て驚いたんです。周りの方々に支えられているんだなと改めて感じました」
試合は0-2の敗戦。中村は涙を流したが、ふとスタンドを見ると、サッカー部の仲間たちだけでなく、応援に駆けつけた生徒や街の人たちも涙を流していた。
「自分のことのように勝った時は喜んで、負けた時は一緒に悔しがってくれた。決勝後は街や学校でも『来年頼むね』『来年、もっと応援する』と言葉をかけてもらいました。これが藤枝東、これが藤枝市なんだな、と。ピッチ内外でしっかりしないといけないなと思いました」
小林監督にとってもエコパで見た風景は忘れられないものになった。
「大学を卒業した翌年、2年間だけ非常勤講師で藤枝東に勤務して、サッカー部でもコーチとして携わりました。当時、河井陽介(清水エスパルス)らを擁して選手権決勝まで進んだのですが、会場だった国立競技場が藤色に染まっていました。学校側が手配したバスは20台だったのに、各地域や自らバスを用意した方々もたくさんいて、結果的に100台のバスが国立に集結した。入場できない方もいたほどで、同窓生や地域の人たちが国立で誇りを持ちながら声を揃えて校歌を斉唱していました。その時、服部監督(当時)に『これだけ見に来てくれた人たちに、また見にきたいと思わせるような試合をしような』と言われました。今でもその言葉は鮮明に覚えています」
決勝戦の日、小林監督は生徒たちに恩師・服部からもらった言葉を選手たちに伝えた。藤枝の人たちが1つになれる場所を自分たちが作り出す。それが藤枝東サッカー部の使命なのだ、と。
国立競技場を藤色に染める
静岡学園、清水桜が丘、浜松開誠館、藤枝明誠、常葉大橘……栄枯盛衰はあるものの、サッカー王国・静岡には常に多くのライバルがひしめき合う。全国行きの切符を勝ち取ることは容易ではない。
「(今回の)エコパの光景を見て、改めて多くの人たちに応援され、支えてもらいながらサッカーができていると感じましたし、それは僕から伝えるよりも、スタンドを見れば生徒たちも理解できると思う。それが大事なんです。感じることで責任が生まれるし、伝統が引き継がれていく。これからも自分たちのスタイルを磨いて、静学とがっぷり四つで戦えるようなチームにしていきたいし、全国を藤色に染めたい。そのためにこれから頑張ります」
小林は、敗戦の悔しさを滲ませながらも、101回大会に向けて新しいスタートを切った。
取材を終えて帰ろうとしたとき、佐賀コーチから紙袋を手渡された。中身は『藤枝名物 サッカーエース最中』。サッカーボールをかたどった丸い形をしている。これぞ、藤枝のおもてなし。来年度の大会では、きっと国立競技場が藤色で染まる。この街に来ると不思議とそう信じられる。
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