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ラグビー「リーグワン」の新風に? 期待の“2000年代生まれ”BK、メイン平&李承信のライバル関係「いつか日本代表でW杯に」 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byNobuhiko Otomo

posted2021/12/18 11:01

ラグビー「リーグワン」の新風に? 期待の“2000年代生まれ”BK、メイン平&李承信のライバル関係「いつか日本代表でW杯に」<Number Web> photograph by Nobuhiko Otomo

プレシーズンマッチで対戦した李承信(左)とメイン平。若き才能が「リーグワン」で新風を巻き起こす

 同学年の2人の出会いは高1の近畿大会。ともに1年生で出場したこともあり仲良くなった。

「ずっと一緒なんです。ライバルだし、なんか、仲いいんです」と2人は口を揃える。気が合うのだ。

 大阪朝高から帝京大に進学した李に対し、メインは御所実を卒業した19年春、父マーティーさんの母国でもあるNZへ。ノースハーバーマリストというチームに加わり、FBでメンバー入り。日本代表が2011年W杯のフランス戦を戦ったノースハーバーのQBスタジアム(現ノースハーバースタジアム)でもプレーした。

「クラブではトップチームで試合に出ていました。基本的にはFB。でもBKはどこでもできるということでやっていました。NZで学んだことはボールキープの大切さ。ボールを片手で持ったまま当たりに行くとボールを取られてしまう。それを体感できたのが大きかったと思います。大きい相手に当たりに行くとき、タックルに行くとき、どうしたらいいかを2シーズンで学びました」

オールブラックスではなく、ジャパンの一員に

 メインにはNZ代表を目指す資格もあった。その意欲もあった。だが、NZで2年目のシーズンの間もない頃にパンデミックが襲った。NZは大規模なロックダウンを敢行。それは15人制クラブラグビーのハイシーズンに当たっていた。真冬の6月になりスーパーラグビーが、次いでオールブラックスの活動は再開したが、クラブラグビーのシーズンは終わっていた。NZでプレーできる機会はしばらく訪れない……そのタイミングで、リコーから誘われた。

 前年のラグビーW杯日本大会はNZから見ていて、日本代表になりたいという思いが自分の中で強くなっていた。日本のトップチームでプレーするチャンスがあるなら逃す手はない。ちょうど20歳の誕生日を迎える頃、メインはリコー入りを決めた。

 そして始まったトップリーグ。メインは開幕戦のパナソニック戦はベンチスタートで、71分から出場。2戦目のヤマハ戦ではFBで先発し、トップリーグ初トライも記録(20歳5カ月23日はトップリーグ年少トライ記録の歴代4位だった)。そこから5試合連続で先発、うち2試合に80分フル出場。プレーオフの東芝戦でも途中出場。トップリーグ1年目の出場時間は461分。李の7倍近くに及んだ。李が「ちょっと悔しさと、刺激がありました」と振り返る所以だ。

 だが、前述した12月11日の戦いでは立場が逆転していた。

【次ページ】 「スンシンはBKの要になっていた」

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