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落合博満監督の“賛否と神采配”伝説 「そうだ相手は落合さんなんだ」「素材に恵まれた選手に出会えて幸せだよ」
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/12/08 17:03
2006年日本シリーズでの落合博満監督。00年代~10年代初頭の中日は黄金期を迎えた
だって憲伸はウチのエースなんだから
<名言2>
だって憲伸はウチのエースなんだから。
(落合博満/Number665号 2006年11月2日発売)
◇解説◇
落合体制の2年目となった05年、中日は再び阪神の後塵を拝して2位に終わった。このシーズンから始まった交流戦などでの躓きが響いた形となった。
翌06年、落合監督は1つの大きな決断を下した。三塁の定位置を、チームの象徴である立浪と、徐々に出場機会を増やしていた森野将彦の2人を競わせる方針を取ったのだ。開幕前の森野の負傷によって当初は立浪がサードを守ったが、シーズンが進むとその定位置は背番号31の森野がつくことになった。
そんな”世代交代”の一方で、チームの強みは不変だった。
アライバの二遊間に扇の要・谷繁、アレックス・福留・井上一樹、守備固めで英智が控える外野守備陣は堅牢と評された。もちろん投手陣もしかり。絶対的守護神となった岩瀬が防御率1.30、40Sの圧倒的な成績でクローザーに君臨。先発も川上、朝倉健太、41歳となった山本昌の3人が2ケタ勝利を達成するなど安定した成績を残した。そして主砲のタイロン・ウッズが本塁打王と打点王の二冠王を獲得するなど、攻守に隙のない陣容ができあがった。
打線もチーム打率1位、リーグ2位の139本塁打をマークするなど、攻守両面でハイレベルな水準を誇ったドラゴンズは、阪神とのデッドヒートを制して2年ぶりのリーグ優勝を果たした。
若きダルビッシュを攻略し、憲伸が好投したが
日本シリーズ、迎えた相手は新庄剛志の現役ラストイヤーとなった日本ハム。初戦を取ったのは中日だった。20歳の若きダルビッシュ有を2、3回に捕まえて3点を奪うと、川上が3回に2失点したのみで8回までゲームを作り、最終回は岩瀬が無失点で締めくくった。
「序盤の投球に不安を感じたかって? そんなこと全然感じなかったよ」
川上について問われた落合監督は、このような言葉とともに冒頭の言葉を口にして、エースへの信頼を端的に語ったのだった。
しかし順調に見えたこのシリーズ、2戦目以降は日本ハムと“新庄劇場”の勢いに飲まれて4連敗し、再び日本一を逃した。この雪辱を前代未聞の形で果たすのが1年後だと、当時の野球ファンはどれだけ想像しただろうか。