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《70歳》長州力「かませ犬発言」前はどんな存在だった? ブレイク前夜の下積み時代、当時の小学生がマネした“七三ヘア”

posted2021/12/03 11:01

 
《70歳》長州力「かませ犬発言」前はどんな存在だった? ブレイク前夜の下積み時代、当時の小学生がマネした“七三ヘア”<Number Web> photograph by  Yukio Hiraku/AFLO

今やお茶の間で人気者になっている長州力。1982年10月8日の「かませ犬」発言で一躍スター選手にのしあがった

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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Yukio Hiraku/AFLO

 12月3日、長州力が古希(70歳)を迎えた。

 現役時代は激しいファイトと、常に怒気を含んだマイクアピールで一世を風靡し、引退(2019年)後は独特すぎる言語感覚や、マイペースな行動、怒りの沸点が予測できない感情の起伏などが受けて、バラエティ番組等で人気者になっている。
 
 12月中には「何しに来た、コラ!」「何コラ、タココラ!」など、あの独特な物言いをインターホンへと収録したカプセルトイ「長州力の家」(バンダイ=500円也)が発売されるなど、体調不良が取り沙汰される師匠・アントニオ猪木に代わり、リング外でのキャラクターも世間に認知されている。

 日本プロレス界には、始祖たる力道山が刺傷事件により急逝(1963年12月)したことにより、「引退後のスーパースター、かくあるべし」というモデルが存在しなかった。99年、ジャイアント馬場が現役中に亡くなったこともあり、98年に引退した猪木が「元気ですか~っ!」「1・2・3・ダーッ!」とその道を切り開きつつ、長州や天龍源一郎が後に続いているという状況だ。

清水君がギャグに使った「長州カット」

 長州がスター選手に「化けた」のは82年10月8日、藤波辰巳(現・辰爾)と仲間割れし、「俺はお前のかませ犬じゃない」と言い放ち、革命軍や維新軍を結成してからのこと。来年はその40周年となるため、その辺の出来事も多く検証されることだろう。その前に、それ以前の長州がプロレスファン、いや当時の小学生らにとって、どんな存在だったのか? 40年前にタイムスリップしつつ紹介してみたい。

 それは1981年秋、小学校の修学旅行で行った栃木県は日光からの帰りの電車での出来事だった。同級生の清水君(実名)が、「ちょっとトイレに行ってくる」と席を立ち、手洗い場の水でガッチリと髪型を七三に固めつつ帰ってきたかと思いきや、「長州カット」と頭を指差しつつ暴れ始め、整えた髪型を一瞬にしてグシャグシャにするという一発ギャグをかました。

 車中は大爆笑。騒動に便乗しつつ、スタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンと化して清水君に襲い掛かる同級生とプロレスごっこが始まり、当然のように先生に叱られる。哀れ、プロレスごっこに興じた面々は「お前ら全員、家に帰るまで長州カットな」と命じられ、数人が手洗い場の水道にて髪型をガッチリと七三に固められるハメに……。全国の校長先生がおっしゃる「お家の玄関を開けて、お父さん、お母さんに『ただいま』と言うまでが~」の言葉通り、長州カットのまま帰宅を命じられる屈辱(?)を味わった……。マヌケだ。

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