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《70歳》長州力「かませ犬発言」前はどんな存在だった? ブレイク前夜の下積み時代、当時の小学生がマネした“七三ヘア” 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph by Yukio Hiraku/AFLO

posted2021/12/03 11:01

《70歳》長州力「かませ犬発言」前はどんな存在だった? ブレイク前夜の下積み時代、当時の小学生がマネした“七三ヘア”<Number Web> photograph by  Yukio Hiraku/AFLO

今やお茶の間で人気者になっている長州力。1982年10月8日の「かませ犬」発言で一躍スター選手にのしあがった

 約1年後の「かませ犬発言」以降であれば、長州のモノマネをする人間は数知れない。だが、この時期に長州のモノマネを披露した清水君の慧眼には今も感心するばかり。

 パンチパーマの時代もあったが、当時の長州は髪型を七三に整えつつ、アントニオ猪木や坂口征二のタッグパートナーとして元気よく登場し、TV中継のアナウンサーからは「日本屈指のパワーファイター」と称されるものの、すぐにアンドレ・ザ・ジャイアントに圧殺され、ハンセンのラリアートにぶっ飛ばされ、シンの反則&コブラクローに悶絶し、試合が終わる頃には七三の髪型がグシャグシャになっている人という印象だった。また当時、同じく七三ぽい髪型にしていたタレント・谷啓に似ているという意見も多かった。ガチョ~ン。

ブレイク前夜「カッコいい姿は映らない」

 必殺技のサソリ固めはデビュー戦から使用しているが、TV中継で長州が勝利する場面など滅多に放送されない。まだ家庭用ビデオが普及していない時代ゆえ、それをプロレスごっこで使用する者はいなかった。あの有名な入場テーマ曲『パワー・ホール』も、TV中継で流れることはほぼないため、認知などされていなかった。

 81年9月、新日本プロレスに初登場したラッシャー木村が「こんばんは」と礼儀正しく挨拶したことが、深夜ラジオ等で笑い話として話題となり、その流れから、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」、ニュース番組のモノマネで「こんばんは、俵孝太郎です」なんて冒頭ギャグを放っていたものだが、81年末か、翌82年の年始あたりのTV番組では「こんばんは、長州力です」なんて変化球のギャグにも名前が使われていた。

 長州をウエスタン・ラリアートでぶっ飛ばし続けたハンセンが、81年末から全日本プロレスに登場したかと思いきや、ラリアート最大の被害者であった長州が、82年の元日決戦(vsアニマル浜口)で自らラリアートを放ち、攻撃した自分の右腕をブルンブルンと振りつつ痛がるという仕草を見せていた。後の「リキラリアート」誕生前夜、こんな仕草もまた、小学生のモノマネの格好のネタとされていた。

 長州にとってはブレイク直前の雌伏の時。だが、もともとはミュンヘン五輪のレスリング代表を経て、スカウトされてプロレス転向を果たしたエリート選手だ。「TV中継に登場することもない」という不遇ぶりではなく、ほぼ毎週のようにTV中継には登場するものの、「決してカッコいい姿は映らない」といった類いの下積み期だった。

【次ページ】 メキシコから帰還「長髪は似合わねえよな」

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