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《奄美から甲子園当確》大島高ってどんなチーム? エース大野稼頭央「知らないバッターに投げる経験が少ない」「集落全体を使って鬼ごっことか」 

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菊地高弘

菊地高弘Takahiro Kikuchi

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photograph byTakahiro Kikuchi

posted2021/11/28 17:03

《奄美から甲子園当確》大島高ってどんなチーム? エース大野稼頭央「知らないバッターに投げる経験が少ない」「集落全体を使って鬼ごっことか」<Number Web> photograph by Takahiro Kikuchi

来春のセンバツ甲子園の出場を“当確”させた大島高校(奄美大島)の選手たち。その背景には“離島”ゆえの工夫があったーー

 離島のたくましさとおおらかさが共存したチーム、それが大島なのだろう。

 島で生まれ、島で育った大野は、幼少期から動くことが大好きだったという。報道陣からどんなことをして遊んだのかと聞かれた大野は、こう答えた。

「小さい頃から走り回っていました。集落全体を使って鬼ごっことか」

 スケールの小さな場所での、スケールの大きな遊び。大野を囲む報道陣の間で大きな笑いが起きた。

大野「チームメートから『島に残って』と言われて」

 そんな大野に聞いてみたいことがあった。「今まで島を出たいと思ったことはないのですか?」と。すると大野は「中学2年の時から鹿実(鹿児島実)に行きたかったんです」と意外な告白をした。

「中3の時には鹿実のスカウトの人からも誘ってもらったんですけど、今のチームメートからも『島に残って』と言われて。ギリギリまで悩んで、島に残ることにしました」

 そして、大野はこう続けた。

「どうせ甲子園を目指すのはどっちも一緒なんで。それなら島でもいいのかなって」

 文字にすると牧歌的な印象を与えてしまうだろうが、15歳の少年としては人生をかけた重い決断だったに違いない。

 もうひとつ、「島に残ったからこそ成長できたと思うことはありますか?」と聞くと、大野は少し考えてからこう答えた。

「メンタルが強くなれたと思います。自分がへこんでも、チームメートはわかってくれていて、優しく声をかけて励ましてくれるので」

名物はスタンドに鳴り響く“指笛”

 大野稼頭央という名前から想像されるとおり、父が松井稼頭央(西武ヘッドコーチ)のファンだったことから名づけられたという。野球熱の高い地域で育ち、「周りの人たちが野球をやっていたので、自分も自然と始めました」と大野は笑う。

 九州大会には大島から大勢の応援団がスタンドに駆けつけた。青いタオルを首に巻き付けた保護者、緑や紫の法被を着た一団。大島の選手たちが躍動するたびに指笛が鳴り響く様子は、さながら村祭のようだった。

 そして、それは来春の甲子園でさらに大きな規模で展開されるに違いない。甲子園という大きな舞台で、今度はどんな「試し合い」が繰り広げられるのか。今から春が待ち遠しくて仕方ない。

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