酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
日曜朝の張本勲が炎上後《喝!》を自粛してるけど… 「昭和なオヤジの親分」大沢啓二が亡くなってバランスが崩れたのでは?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byWataru Sato/Naoya Sanuki
posted2021/11/07 06:00
日曜朝の「喝!」と言えば、張本勲と“親分”こと大沢啓二だった
そして日本ハムの社長だった三原脩。監督としてなかなか成果が出ない大沢を気長に支援し、実績を上げさせた。大沢啓二は、こうした太っ腹な大人物の薫陶を受けて、貫禄十分の親分肌でありながらも円満で、程のよい人格者になっていったのだと思う。
1人は辛口、1人はマイルドというバランス
大沢が健在だったころの「週刊御意見番」では、張本が喝を出して「全然だめだね、もっとこうしないと」と鋭く突っ込むと大沢が「まあまあ、彼だってよくやってるんだよ」とマイルドにいなしていた。それが一つの芸になっていたのだ。
どちらも「昭和のおやじ」だが、1人は辛口、1人はマイルド、この2人の関係がいいバランスになっていたのだ。
大沢がいなくなって、筆者が最初に違和感を抱いたのは、2012年のロンドン五輪のときだ。
ゲストは有森裕子。2度のマラソンで銅メダルを獲得したシーンが流れ、有名な「自分で自分を褒めたい」というシーンが流れる。すると横にいた張本勲が、「あれは、私が最初に言った言葉だから。私が最初に言った言葉なの。引退した時に。その言葉を参考にされたのだと思うけれど」とVTRを見ながら口にした。
有森は「では、そういうことで」と丸く収めたが、唐突な発言だった感が否めなかった。
大沢は張本の「抜き身」を収める鞘だった
以後、張本勲はしばしばネット世論を沸かせる意見を口にするようになった。「正論」もあったが、旧弊な意見も多かった。特にMLBに関してはイチローが挑戦した時代の価値観のまま「NPBはMLBを追い越した」と言う固定観念を持っているのがあからさまになっていた。大沢啓二がいれば「まあアメリカにだっていいところはあるわな」みたいに取りなしたはずだ。
大沢の後釜のゲストにはその力がなかったために、張本勲の“暴走”が目立つようになったのだ。
古い映画の話で恐縮だが、黒澤明監督の「椿三十郎」では、ご家老の奥方が三船敏郎演じる浪人、椿三十郎に「あなたはまるで抜き身(抜いた刀)のよう。でも本当に良い刀は、鞘に納まっているものですよ」と語りかける。
この名画きっての名セリフだが、まさしく張本勲は「抜き身の刀」なのだ。歯に衣着せぬのはいいが、ときに独善、ときに極論に走ってしまう。大沢啓二は張本の抜き身を「まあまあ」と収める鞘のような存在だった。
張本勲を名刀たらしめたのは、大沢啓二という鞘の存在だ。
しかし筆者は、いまだに日曜朝の張本の「喝」が、すべて「老害」だとは思っていない。
ものごとが万事「いいね」が多いもの、人気のあるものに傾きがちな昨今、「いや違う」と待ったをかける言論は、場合によっては尊重されるべきだと思う。しかし、それが一面的な見方だったり、勉強不足が露呈するから問題なのだ。
NPBもMLBも、その他のスポーツも、そしてスポーツを取り巻く環境も進化している。御年81歳の張本勲には大変かもしれないが、アップデートをお願いして、今後も日曜朝に元気な顔を見せてほしいと思っている。
<関西のユル~いけどスゴい偉人・福本豊編に続く>
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