酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
日曜朝の張本勲が炎上後《喝!》を自粛してるけど… 「昭和なオヤジの親分」大沢啓二が亡くなってバランスが崩れたのでは?
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byWataru Sato/Naoya Sanuki
posted2021/11/07 06:00
日曜朝の「喝!」と言えば、張本勲と“親分”こと大沢啓二だった
もともとこのコーナーは、張本勲と大沢啓二の2人でやっていたのだ。しかし大沢が2010年に死去してからは、毎回スポーツ各界の有名人が入れ代わり立ち代わりゲストで出るようになった。
中には金田正一や野村克也、王貞治など張本の先輩、同格の野球人も登場したが、最近は親子以上に年の差のあるゲストが多くなって、力関係が大いに変わってしまった。ゲストが穏当な意見を言って、張本勲が過激発言をするようになったのだ。
端的に言えばこのコーナーは大沢啓二亡き後、変質したと言っても良い。
張本と大沢の対照的すぎる経歴とは
張本勲と大沢啓二は、何から何まで対照的な野球人だった。現役時代の実績は以下の通り。
張本勲 9666打3085安504本1676点 率.319
大沢啓二 2075打501安17本191点 率.241
共にパ・リーグの外野手だったが、張本は史上最高の安打製造機。本塁打、打点の部門でも毎年、野村克也や大杉勝男らとしのぎを削り、足も抜群に速かった。しかし大沢は、1959年の日本シリーズで巨人・長嶋茂雄の安打性の当たりを捕ったのがほとんど唯一の自慢。規定打席に乗ったことはない、平凡な外野手だった。
そして経歴も全く対照的だ。
張本は韓国人の両親のもと、広島に生まれ、5歳にして原爆で姉を亡くしている。広島の高校時代に野球で頭角を現すも、暴力事件を起こして大阪の浪商高校に転校し、ここから東映に入っている。彼の自伝には差別を受けたことも書かれている。入団時には「外国籍」であることを理由に外国人選手にされかかったが、コミッショナーの判断で「日本の高校を出ているから日本人扱いにする」ということになった。在日外国人選手が日本人選手の扱いになったのは、張本からだった。
東映に入ってからは通算7度の首位打者など、圧倒的な成績を残す。巨人、ロッテも含め23年の選手生活を送った。
大沢は高校時代、暴力沙汰を起こしたが……
大沢は神奈川県生まれ。高校時代は野球をやっていたが、暴力沙汰をたびたび起こし、ついには試合で審判に暴力を働いて退部処分になる。しかし当時、中日の主力選手だった兄大沢清のとりなしで復帰。そして殴られた審判が「見どころがある」と立教大学野球部を紹介し、東京六大学で活躍したという。
4年生の時には南海ホークスの鶴岡一人監督に「うちに来い」と誘われるが、それは立教の2年後輩の長嶋茂雄や杉浦忠と大沢が仲が良かったからだという。