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「ちゃんと卒業したのは3年間で4人」ヤンチャ集団だった高校が決勝戦で大阪桐蔭と対戦するまで…この10年で何が? 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/11/05 11:03

「ちゃんと卒業したのは3年間で4人」ヤンチャ集団だった高校が決勝戦で大阪桐蔭と対戦するまで…この10年で何が?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

左腕・森下を擁する京都国際に勝利し、近畿大会・準決勝進出を喜ぶ和歌山東ナイン。決勝戦では大阪桐蔭に敗れたが、今後の成長が期待できる快進撃だった

 和歌山東は元々野球部は軟式のみだったが、2010年に軟式から硬式に移行した。県立和歌山商で07年にチームを率いてセンバツ出場した経歴がある米原監督が和歌山東に異動となったのがちょうどその2010年4月だった。

 だが、当時の和歌山東はいわゆる“ヤンチャ”な高校生が集い、本気で上を目指すどころかまじめに練習に向き合う選手は少なかった。

「自分が赴任した時は3年生1人が夏まで硬式で続けましたが、7人いた2年生は1人、12人いた1年生は2人だけですね、最後まで続けたのは。ちゃんと(野球部を)卒業したのは3年間で計4人だけでした」

 タバコやケンカで問題になる選手や、保護観察のついた選手もいた。最初の数年は野球にならない時期もあったが、米原監督は頭ごなしに怒ることはなかった。

「そういう子ばかりなので、こちらの思い通りにならないのは分かっていること。それくらいの(問題を起こす)ことは予想できましたしね。流すところは流して、彼らと同じ目線になって、まず会話をすることを心掛けました。そもそも彼らには毎日練習をする習慣がなく、“なんで毎日こんなしんどいことやらなあかんねん”というのがあったようで、中途半端な子はどんどん辞めていきました。だから、まず野球を好きになってもらわないといけないと思いました」

高校生を惹きつける米原監督の人柄

 同じ目線になることで指揮官と選手の心の距離は少しずつ近くなった。ボールはわずか1ケースしかないうえ、練習では県立和歌山商でやれていたことは全くできない。集中力も10数分が限界だった。それでも選手にぶつけたい言葉を胸にしまい、米原監督は選手らと向き合いながらノックバットを手にした。

 ただ、甲子園に出場実績のある米原監督を、県内の中学生も見逃してはいない。就任2年目の春には18人の新入生が入部。その学年が3年生になった夏に県でベスト4まで勝ち進むなど、チームは徐々に前進しているようにも思えた。だが、幾度かあった監督の“行き過ぎた指導”で謹慎処分を受け、チームの進撃に影響を及ぼすこともあったという。それでも「数年ごとにヤンチャな気質は少しずつなくなってきています。今年のチームは、そういう子はもういません」と指揮官は明かす。

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