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夏の連覇が途絶える→「力がない世代」が勝ち取ったセンバツ当確 聖光学院・斎藤監督「勝因と言ったら傲慢かもしれないけど⋯」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2021/10/30 17:02

夏の連覇が途絶える→「力がない世代」が勝ち取ったセンバツ当確 聖光学院・斎藤監督「勝因と言ったら傲慢かもしれないけど⋯」<Number Web> photograph by Genki Taguchi

東北大会で準優勝し、「センバツ当確」の聖光学院。“14連覇”を逃した今夏から「新チーム」はどう立ち上がったのか−−

「秋に2年連続で東北大会に行けなかったってことは、チームを作り切れていなかったことになる。俺自身、責任を感じてるんだ」

 監督同様、横山も煩悶していたのである。

 力がないなら、心をしっかり育てよう。昨秋から横山は原点に立ち返った。

 聖光学院の野球とは、魂の具現化だ。

聖光ナインの成長を支えた2つの“精神”

 まず、自分たちの現在地を知る。背伸びは許されず、身の丈に合ったプレーを体に染み込ませる。今年のチームなら、守備、走塁、バントなどを駆使した機動力、小技の完成度を高めることだった。野球においてそれは、相手を慮り、自己犠牲を厭わないプレーだ。聖光学院に置き換えれば、部訓「一燈照隅」の体現となる。一人ひとりが隅々まで注意を払う、選手全体にその姿勢が広がれば万燈照国、すなわち一枚岩のチームが形成される。

 横山はそれを、「積み重ね」と表現した。

「力がないからこそ、できることを妥協せずにやってきた。これでもかっていうくらい」

 Bチームから主将を担う赤堀颯も、横山に同調するようにあるべき姿勢を説く。

「自分たちは先輩方と比べて力がないし、コールドで勝てるようなチームではないことは全員理解していて。そういうチームが勝ち切れるために、守備、走塁、バントにはこだわってやってきたつもりです」

 細かいプレーの積み重ね。それは、日常生活という土台が固められ、成り立つものだ。普段からの振る舞いによって、仲間や指導者たちから、「この選手が試合に出て負けたら仕方がない」と評価されて初めて、技術と魂の練度が融合していくわけである。

 今年の6月。横山は18年のBチーム以来となる“儀式”を行った。

 選手たちが叫びながら突進する。横山がそれを全身で受け止め、投げ倒す。嘆き、憤り、怒り……あらゆる感情を超越し、人のぬくもりがチームを包む。体当たりの儀式は、横山が彼らを認めた証でもあった。

 この頃には、関東の強豪校とのBチーム戦でも引けを取らないまで野球のレベルも向上し、横山もその成果を実感していた。

「相手どうこうではなく、自分たちがどうあるべきか? それが見えているからこそ、どんなチームにも脅威を感じることなく戦える。力はまだまだないんだけど、それってやっぱり心、聖光学院としての土台ができてきたからだと思うんだよな」

 それはまさに、聖光学院のもうひとつの柱である「不動心」が根ざした瞬間でもあった。

 「動じない心」と要約できる部訓ではあるが、このチームの解釈は深い。

 生きていればいいことも悪いこともある。幸不幸から目を背けず自分と向き合うことで、いかなる状況に身を投じても自分を律することができる――中国の故事「人間万事塞翁が馬」に似た意味合いも込められている。

【次ページ】 3年生を「神宮とセンバツに連れいていく」

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