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《V6結成》が“予定調和のスポーツ中継”を変えた? 1995年バレーW杯のウラ話「ジャニーさんが、誰がいいと思う?って」

posted2021/11/01 11:00

 
《V6結成》が“予定調和のスポーツ中継”を変えた? 1995年バレーW杯のウラ話「ジャニーさんが、誰がいいと思う?って」<Number Web> photograph by KYODO

1995年ワールドカップでアタックを決める中垣内祐一(前・男子代表監督)。大会サポーターにV6を起用することで、バレーボールへの関心を高めた

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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KYODO

 11月1日、V6が26年の歴史にピリオドを打つ。

 メンバー6人はそれぞれが多彩で、演劇、ミュージカル、映画、料理、手話、司会業と幅広い分野で活躍し、愛されてきた。そんな彼らのデビューの場所は、1995年に開催された「バレーボールワールドカップ」だった。

 嵐、NEWS、Hey! Say! JUMP、Sexy Zone、ジャニーズWESTまで、同大会ではジャニーズ事務所のアイドルがイメージキャラクターを務めてきたが、まさにその先駆者とも言うべき役割を果たしたのがV6だった。

 ジャニーズとバレーボールの歴史、そしてV6のスタートに大きく関わった人物がいる。当時、フジテレビスポーツ局のプロデューサーとしてワールドカップ中継を担当した松野博文氏(現・株式会社クオラス執行役員)だ。

「今までと同じ、どこかで見たようなことはやりたくなかった。どうせやるなら、面白いことをやろうよ、と常に思っていましたね」

命運を託された、F1ブームの立役者

 そもそもなぜ、バレーボールの大会でジャニーズのアイドルを起用するようになったのか。発端は、1993年のJリーグ開幕まで遡る。長髪でユニフォームもファッショナブルな選手に憧れてサッカー人気が高まる一方、かつて人気を博したバレーボールは低迷期を迎えていた。特に10、20代の若年層のバレーボール離れは顕著で、兼ねてからバレーボールワールドカップの中継を担っていたフジテレビは、閉塞感を打破する策を練っていた。

 そこで白羽の矢が立ったのが、F1のプロデューサーとして実績のあった松野氏だった。フリーアナウンサーに転向した古舘伊知郎氏を実況に採用し、「音速の貴公子」といった視聴者の興味をそそる比喩表現など、従来のスポーツ中継とは異なる演出で爆発的なF1ブームを巻き起こした手腕にバレーボール中継の命運が託された。

「F1はモナコやシャンパンというバブルの香りがプンプン。対してバレーボールは坊主頭にブルマーという体育会スポーツのイメージ。リサーチしても『東洋の魔女?』くらいしか反応がない。いかに若年層を取り込むか、と考えた時、ジャニーズを使うのはどうだろう、というアイディアが浮かんだんです」

 人気低迷に危機感を覚えていた日本バレーボール協会の全面協力のもと、ジャニーズ事務所に持ちかけた。

【次ページ】 テーブルに並べられたスナップ写真

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